ふーこー・どぅるーず・でりだ・ばると(その4)【引用の織物】

*かさなる・かぶる

 かわる。

 変わる。代わる。換わる。替わる。

        *

 わかる。

 分かる。判る。解る。別る。

        *

「かわる」を「かえる」と「わかる」

「かわる」を「変える・換える」(変・換させる)と「分かる」

「かわる」が「かわる」と「わかる」

「かわる」が「変わる・換わる」(変・換する)と「分かる」

        *

 いつの間にか、「かわる」の話が「わかる」の話になってしまいました。「かわる」から「わかる」にテーマが変わり、「かわる」に代わって「わかる」が登場し、「かわる」の話が「わかる」にすり替わった、ということです。

 とはいえ(というよりも、したがって)、一貫して「かわる」について書いているつもりなのですが、分かっていただけますでしょうか?

 これは「かわる・かえる」と「わかる・わける」が重なる、かぶるからです。「kawaru・kaeru」と「wakaru・wakeru」がアナグラムができそうなくらい音と文字の面でかさなる・かぶるからだけでなく、意味の面でもかさなりかぶるからだと考えられます。

        *

 かさなる・重なる・(笠なる)・(傘なる)・(嵩なる)

 かぶる・被る・(鏑る)

 ※(  )は個人的な当て字=感字です。

「かさなる」を身振りで示してみてください。何かと何かを重ねるわけですから、左右の手のひらを重ねるとか、そばにある紙と紙を重ねるなんて、仕草が考えられます。

「かぶる」はどうでしょう? 「被る」ですから、帽子を被るジェスチャーとか、布団を被る動作をする人が多い気がします。

 いずれにせよ、AとBがくっつくとか、まじわる感じです。数学で習った「共通集合」とか「交叉」とか「交わり」という言葉とイメージを思い出します。

 私は数学が大の苦手だったので、嫌な記憶もついでに頭に浮かびます。

        *

「かわる」と「わかる」についても、動作や仕草や表情で示してみると、興味深いと思います。何らかの気づきとか発見とか学びがあるかもしれません。

「かわる」と「わかる」は「かさなる・かぶる」でしょうか? つまり、「かわる」の動作と「わかる」の動作に、共通点はあるでしょうか? 

 

*漢字の感じ

 というわけで(どういうわけでしょう?)、「かわる・かえる」という言葉について、以下の記事でつくった「わかる・わける」と同様の表みたいなものをつくってみたいと思います。

 そうすれば、「わかる・わける」と「かわる・かえる」が、音だけでなく意味の面でも、シンクロ状態=重なり合っているさまがわかるはずなのです。

 では、さっそく試してみます。「わかる・wakaru」のではなく「はかる・hakaru」つもりでやってみます(話をややこしくして申し訳ありません)。

        *

 まず、前提です。

*「かわる」=「変わる(or 変る)」=「代わる(or 代る)」=「替わる(or 替る)」=「換わる(換or る)」

 以上が、送り仮名で見た「かわる」のとりあえずの全貌です。次に、上で使われている個々の漢字にまつわるイメージを、複数の漢和辞典や、国語辞典、用字用語集を参照しながら、アマチュアの立場からまとめてみます。

        *

*「変」 → ものごとの状態や質や内容が以前と異なった状態になる、変化する、良し悪しは別にしてこれまでとは違うことは確か、化ける、あれあれ、あれよあれよ、ふつうじゃない、うへっ、尋常ではない、不気味だ、いやだあ、異様だ、あらまあ、変だ、おかしい、二つ(※あるいはそれより多い数)のものがそれぞれ違っている、妙なことが起きる、突然起こる、わざわい、困った困った、何だこれは、どうなってるんだ、乱れる、くるう、時があらたまる、場所がうつる、動く、ありゃいつのまにかこんな(or あんな)ところに、というイメージ。

「変化」「不変」「変革」「変容」「変移」「変質」「変調」「変転」「変貌」「豹変」「激変」「劇変」「臨機応変」「変装」「変相」「変速」「変性」「変成」「変声期」「変名」「変節」「変心」「変身」「変遷」「変更」「変異」「異変」「凶変」「地変」「事変」「政変」「変死」「変幻」「変人」「変質者」「変種」「変則」「変体」「変態」「大変」「変乱」「変事」「変換」「変動」……

        *

*「代」 → AのかわりにBを用いる、かわって引き継ぐ、今度はこれを使うのね、○○と申しますよろしく、みがわり、○○(or ○○たち)になりかわりましておつとめさせていただきます、入れ違い、新しいのはいいけどこんなんで大丈夫かしら、かわるがわる、いれかわりたちかわり時は過ぎる、時世、あれのかわりにこんなにもらっちゃった、あたい、これとあれが同等だっていうことなのか、かち、ねだん、というイメージ。

「代理」「(交代)」「(身代わり)」「代人」「名代」「代表」「代行」「総代」「代官」「代議士」「代議員」「代議制度」「代用」「代書」「代筆」「代講」「代弁」「代々」「世代」「時代」「歴代」「上代」「末代」「古代」「近代」「現代」「当代」「先代」「初代」「稀代」「希代」「代償」「身代」「代金」……

(※( )は別の漢字を当てる場合があるものです)

        *

*「替」 → Aに入れかわってBになる、今度はこっちの番、入れ違い、今度はこんなのが来たよ、○○と申しますよろしく、おっ新顔だね、これが駄目になったから捨てちゃう、あっちにしよう、時があらたまる、というイメージ。

「(交替)」「(替え玉)」「(身替わり)」「(引き替え・引替え・引替)」「(取り替え・取替え・取替)」「(組み替え・組替え・組替)」「(入れ替え・入替え・入替)」「(言い替え・言替え)」「(借り替え・借り替え)」「(着替え)」「(差し替え・差替え)」「替え歌・替歌」「両替」「為替」「鞍替え・鞍替」「付け替え・付替え」「クラス替え」「商売替え」「国替え・国替」「組織替え」「吹き替え・吹替え」「振り替え・振替え・振替」「月替わり」「年度替り」「日替わり」……

        *

*「換」 → AとBとをかえる、とりかえる、入れ違い、差し引きゼロ、○○さんだと思ってお相手しますからね、○○さんだと思って何なりとお申し付けください、新しく来たものの役目と役割を重視する、これで役に立たなかったらクレームどころか返品だ、というイメージ。

「交換」「(換え玉)」「(引き換え・引換え・引換)」「(取り換え・取換え・取換)」「(組み換え・組換え・組換)」「(入れ換え・入換え・入換)」「(言い換え・言換え)」「(借り換え・借換え・借換)」「(着換え)」「(差し換え・差換え)」(「置き換え・置換え)」「変換」「転換」「置換(ちかん)」「換気」「乗り換え・乗換え・乗換」「換言」「換金」「兌換」「換算」……

        *

 以上は、即席に作成したリストなので、だいたい感覚的にはこんなものではないか、くらいに理解してください。

 繰り返しますが、漢字の感じ、つまりイメージについての、あくまでも、アマチュアのお遊びです。個人の印象であり感想にすぎません。

        *

 次に、「「似ている」に導かれて考える」という記事に載せた「わかる・わける」の感じ(イメージ)を引用します。

        *

◆「分かる(=わかる)」=「別る」=「解る」=「判る」

*「 分 」⇒ わける、バラバラにする、わきまえる、おのれを知る、わけて配る、デリバリー、というイメージですね。「 分別(ふんべつ) 」「 分解 」「 分離 」「 分裂 」「 野分 」「 分水嶺 」「 分析 」「 微分 」「 通分 」「 分類 」「 分家 」「 部分 」「 五分五分 」「 春分 」「 秋分 」「 身分 」「 分際 」「 区分 」「 分割 」「 分配 」「 分譲 」「 分担 」……

*「 別 」⇒ わかれる、バイバイ、さよなら、ちょぴりさみしい、離れる、他とは違う、ゴーイング・マイウェイ、ああ何と薄情な、わける、というイメージですね。「 別離 」「 死別 」「 別居 」「 送別 」「 餞別 」「 特別 」「 格別 」「 別格 」「 区別 」「 分別(ぶんべつ) 」「 判別 」「 大別 」「 差別 」「 千差万別 」「 識別 」「 鑑別 」「 別荘 」「 別個 」「 別記 」「 個別 」……

*「 解 」⇒ とく、バラバラ、わける、帯なんかをほどく、よかったね、ゆるゆる、どろどろ、自由にしてやる、バイバイ、余計なものを取り除く、脱がしちゃう、説明する、謎をとく、なっとく、わかる、なるほど、やっぱり、そうだったのか、というイメージですね。「 解体 」「 分解 」「 解剖 」「 和解 」「 溶解 」「 融解 」「 解放 」「 解禁 」「 解散 」「 解雇 」「 解毒 」「 解熱 」「 解消 」「 解除 」「 解決 」「 理解 」「 誤解 」「 難解 」「 不可解 」「 氷解 」「 解明 」「 読解 」「 明解 」「 詳解 」「 図解 」「 解釈 」「 見解 」「 解説 」「 解析 」「 解答 」……

*「 判 」⇒ わかる、ガッテン、なるほど、われる、明らかになる、白黒をつける、暴露される、さばく、けちをつける、ポンと押す、印をつける、というイメージですね。「 判断 」「 判別 」「 判定 」「 判明 」「 判読 」「 判決 」「 裁判 」「 判事 」「 公判 」「 審判 」「 判例 」「 批判 」「 談判 」「 評判 」「 判子 」「 血判 」……

 以上です。

 

*言葉の問題

 さて、

*「かわる・かえる」と「わかる・わける」がシンクロする=かぶる=ダブる=重なる=関連し合う部分

はありましたでしょうか?

 私の印象では、鍵は「変」と「換」だという気がします。

*「かわる」を「かえる」と「わかる」

*「かわる」を「変える・換える」(変・換させる)と「分かる・解る」

*「かわる」が「かわる」と「わかる」

*「かわる」が「変わる・換わる」(変・換する)と「分かる・解る」

 そうです。「変換」が鍵なのです。

 つまり、

*「かわる」と「わかる」

*「変わる・換わる」と「分かる・解る」

ということです。

「かわる・かえる」と「わかる・わける」がシンクロする=かぶる=ダブる=重なる=関連し合う部分があるとすれば、文字変換という行為でかぶる

ように思います。

 これは日本語だけの表記の問題(漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字が併用されているという意味です)ではないでしょうか。ひょっとすると漢字を使う言語の問題かもしれませんが、他の言語について私は不勉強でわかりませんので、日本語に絞って話を進めます。

※中国語の文字入力ではアルファベットから漢字に変換できるみたいですが、詳しいことは知りません。韓国語ではどうなのかも知りません。

        *

*「かわる」を「かえる」と「わかる」
*「かわる」を「変える・換える」(変・換させる)と「分かる・解る」
*「かわる」が「かわる」と「わかる」
*「かわる」が「変わる・換わる」(変・換する)と「分かる・解る」
*「かわる」と「わかる」
*「変わる・換わる」と「分かる・解る」

 以上の六行がすんなりわかるとすれば、それはきわめて日本語的な問題だと思います。もっと詳しく言うなら、ひらがな(カタカナ)と漢字、ひいては大和言葉と漢語という二重構造にかかわる問題だという気がします。

 おそらく小学校の教育課程を終えた人なら、上のペアの文は容易に理解できると思います。

 ところで、上の六行を英語やフランス語に翻訳できるでしょうか(翻訳の際には六行ではなく三行に減らしたりするかもしれませんね)。文字通り訳したうえで、かなり詳細な注釈を付ければ、たぶんできるでしょう。

 注釈つまり解説なしでは、訳せないと思います。そもそも文(センテンス)を成立させているのが、言葉の表層の問題、つまり言葉の綾だからです。一種の、いや立派な駄洒落だからです。

*アルミ缶の上にあるミカン
*パンダが食べるのはパンだ。

 この二つの駄洒落=言葉遊びを英語に訳せないのと事情は同じです。理屈や論理の問題ではなく、言葉の問題なのです。

 理屈や論理は、普遍を目指しますが、言葉にこだわると言葉や言語の表層、つまり音や文字の面に目を向けますから、とりあえず他言語への翻訳は断念しなければなりません。

(※柳瀬尚紀のように、英語の洒落は必ず日本語訳でも洒落にするという執念をもった翻訳家もいます。私は柳瀬しか頭に浮かびませんが、他にもいるはずです。)

*駄洒落と比喩が同じ構造(二重写し)をしていることと、両者の翻訳不可能性については、「読みやすい文章、読みにくい文章(言葉は魔法・第15回)」でも触れています。

        *

 したがって、上で述べた以下の問いにある、「わかる」の動作と「わかる」の動作には、おそらく共通点はないと思われます。もちろんこじつければ、ありそうです、言葉を使うと何とでも言えますから。

「かわる」と「わかる」は「かさなる・かぶる」でしょうか? つまり、「かわる」の動作と「わかる」の動作に、共通点はあるでしょうか? 

「かわる」と「わかる」の「かさなり」は、あくでも言葉の表層の問題、つまり音と文字の問題であって、意味やイメージの問題ではありません。「アルミ缶の上にあるミカン」における「アルミ缶」と「ミカン」が重なった(二重写しになった)としても、両者に共通点はないのと似ています。

「かわる」と「わかる」の「かさなり」には、共通性や普遍性はおそらくないということです。レトリック次第では「ある」と言えそうですが。それはあくまでもレトリックの問題です。笑ってやりすごすのがいちばんです。

 

*「ドゥルーズする」/「フーコーする」、あるいは荒唐無稽な夢

 フランス語で美しい駄洒落をものした例として、クロード・レヴィ=ストロースの著作名である「La Pensée sauvage」があります。このフランス語は、日本語に訳せば「野生の思考」とも「三色スミレ、パンジー」とも取れる言葉遊びになっています。

 この駄洒落の美しさは、この意味と音の二重写しがその著作のテーマとかぶるという芸にあります。

 また、ジャック・デリダが「 différence」(差異)に掛けて「造語」した「différance」(差延・さえん)は美しいとは言えませんが、フランス語という枠のなかで反則や破格と言ってもかまわない、すごいことをやっています。

 しかも、それはデリダにとってフランス語の問題だけではなく、哲学的な問題ともかぶっているのです。

 以上の二つの例は、フランス語という言葉のレベルで成立するたぐいの問題なのです。他言語へ翻訳不可能であり、それでも他言語へ翻訳ようとするのなら注釈という解説が必要になります。

 仮に日本語を母語とする人が「レヴィ=ストロースする」とか「デリダする」ことを試みる場合には、日本語でするのが筋であり理屈にかなった作業だという気がします(とはいえ、人それぞれですから好みの問題でもあります)。この種の作業を翻案というレトリックをつかってもいいような気がします。

 お断りしますが、「レヴィ=ストロースする」とか「デリダする」というのは、イメージの問題です。

 それぞれの固有名詞(人名)を著者とする著書や、それぞれについて書かれた解説書について、私を含む各人がいだくイメージ=印象=感想について述べているのであり、それ以上それ以下ではないことをご理解願います。それぞれの著者がおこなった膨大な仕事のごく一部についての印象だとも言えます。

        *

 個人的な話で恐縮ですが、たとえば、蓮實重彦の『批評 あるいは仮死の祭典』という「注釈=解説書」を頼りに「ドゥルーズする」という「お遊び=戯れ」を、以前にやったことがあります。

「AとB」という時の「と」に注目して、「関係性=ま・間=あいだ=はざま・あわい」というイメージと戯れるという方法なのですが、興味のある方は、「「と」は愛の言葉【言葉は魔法】」と「言葉を並べながら考える」という記事をご覧ください。

 また、こぢんまりとした例ですが、病院での個人的な体験をもとに、日本語の「みる・見る・観る・診る・視る・覧る・看る」という言葉と、自分なりに使っている「信号」というイメージをからめながら、「フーコーしてみた」ことがあります。「病室の蛍」という記事ですが、文字通り、ご笑覧いただければ嬉しいです。

(※再度お断りしますが、「ドゥルーズする」とか「フーコーする」というのは、イメージの問題です。それぞれの固有名詞(人名)を著者とする著書や、それぞれについて書かれた解説書について、私を含む各人がいだくイメージ=印象=感想について述べているのであり、それ以上それ以下ではないことをご理解願います。それぞれの膨大な仕事の一部についての印象だとも言えます。そんなわけで「ドゥルーズする」とか「フーコーする」とは、「ドゥルーズという言葉とそれが喚起するイメージとたわむれる」とか「フーコーという言葉とそのイメージにあそんでもらう」の略と考えてもよさそうです。)

 私はアカデミックな場に身を置く研究者ではなく、またお勉強が大の苦手である無知な人間です。だからこそ、こういう愚かで無恥なことができるのだと思います。

 自分では「哲学している」つもりでも、私のやっていることは、世間でやっている「哲学」とは遠いみたいです。そんなわけで、自分の記事に「哲学」というハッシュタグを付けるのは稀です。

 誤配を避けるための措置なのですが、過剰な配慮かなあと思わないわけでもありません。

 なお、日本語で「哲学」という言葉が出てくる文章、あるいは哲学書と呼ばれている日本語の文章のほとんどが、私には難しすぎてわからないという理由もあります。このことについては、いつか記事にするつもりです。

 自分なりに「ドゥルーズする」とか「フーコーする」なんて、大胆極まる厚顔無恥をさらけ出したので、ついでにもう一つ戯れ言を述べさせてください。

        *

 このところ、「わかる」と「かわる」とか、「はかる」と「わかる」なんてやっているのは、実は自分なりに「デリダしている」つもりなのです。正気とは言う自信はありませんが本気です。

 デリダのやったことはきわめてヨーロッパの言語的な状況でのお仕事だと思います。デリダの翻訳やデリダについての解説を読めば読むほど、漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字という表記を日々実践している日本語の現場とは遠い状況での作業だと思わざるを得ません。

 つまり、自分の問題として感じられないのです。自分の問題とは、言葉の問題にほかなりません。

 言葉にかかわればぐちゃぐちゃになることを知っている賢明な人は言葉に面と向かわないのでしょうね。概念や観念や抽象や論理という辻褄合わせに向かうのでしょう。その方がすっきりしていてかっこいいです。

 そんなわけで、具体的な日本語の場に身を置きながら、言葉について考えているのです。別に「デリダしている」と言う必要はないのですが、デリダと似た身振りを演じている自分を感じないではいられないのです(※こう書いた自分に笑ってしまう自分がいます)。

 大切なのは身振りだと思います。言葉が言語の別をこえて似た身振りを演じる。そんな夢を見るこのごろです。このおかしくて笑うしかない荒唐無稽とも言える夢(荒唐無稽ではない夢なんてあるでしょうか?)から覚めないことを願っています。

        *

 ところで、漢語から成る翻訳文には、やってる感にあふれながらスカスカである、つまりきわめて抽象度の高い表現があるので要注意です。

 たとえば、

 理解とは何ぞや?

 理解の概念における普遍性についての哲学的考察

といった言葉は日本語の問題をあっさりと失念している、つまりスルーしている点で、何かありそうでありながら何も言っていないに等しい感じがしませんか? それとも、深いなあ、哲学的だなあと感動なさいますか?

 いずれにせよ、「理解」(つまり、わかる)を「変化」(つまり、かわる)や「真理」や「神」や「事実」や「普遍性」や「客観性」や「愛」や「観念」に置き換えても事態は変わらないと思われます。

 冗談はさておき、使用する言葉(言語)の問題にはどんなに敏感であっても敏感すぎることはないと思います。

 例を挙げると、

 哲学とは何か?

という問いをたてるなら、哲学が西周による造語であり、その元の語が何語で、どんな成り立ちをしているかを調べるべきでしょう。

 また、その問いを日本語の問題として置き換え、「哲学」の代わりに「おもう・おもい」や「かんがえる・かんがえ」という語を対象とするのであれば、それぞれの言葉の成り立ち、およびそれに当てた漢字の成り立ちをも調べる必要があるのではないでしょうか。使用する言葉の問題を避けるわけにいかないという意味です。

        *

 メトロノームたち。

 身振りは似ていても、あるいは同じであっても、各メトロノームは同じではない。同じ=同一は、一つしか存在しない。その意味で、メトロノームたちは同じではなく似ているのだ。

 それぞれがそれぞれとしてある、またはいる。

 それぞれがそれ自身にそっくりなのだ。そっくりな点がそっくりなのである。

 自分自身にそっくりという意味なら、同じとか同一と言えるのかもしれない。

 似ている、似た身振り、仕草、顔、表情が世界にあふれている。

 その身振りを読む。あるいは、なぞる、真似る、まねぶ、学ぶ。または、うつす、写す、映す、撮す、移す、遷す。そうやってふえる、増える、殖える。

 世界は顔で満ち満ちている。

*「なぞる、真似る、まねぶ、学ぶ」、「うつす、写す、映す、撮す、移す、遷す」、「ふえる、増える、殖える」という身振りについては、以下の記事で扱っています。よろしければ、お読みください。

 

*「似ている」に導かれて揺れる振れる

 どうやら私は「哲学」という言葉と相性が悪いようなのですが、これはたぶん私が「似ている」に導かれながらぶらぶら揺れ振れぶれているからだという気がします。

 世界は「似ている」で満ち満ちている。「似たもの」はあっても「同じ」とか「同一」はない。「異なる・違う」もない。感知できないという意味で「ない」。「似ている」が「ある」は印象の世界。表象の世界。仮象の世界かもしれない。

 こんなふうに考えているため、「普遍」や「真理」は求めていません(夢見ることはありますが)。また信じてもいません。だから、たぶん「哲学」とは遠いのだと思います。

「似ているもの」とは顔や表情であったり、身振りや仕草や目くばせだったりする。だから、必ず「読む」がつきまとう。「読む」を「解釈」と言い換えてもいいだろうが、「読む」はむしろ「印象」。「印象」にまとわりついている頼りなさととりとめなさがあるのが「読む」。

 人はちゃんと読むことができない。本であれ、表情であれ、ちゃんと読めない。歌もちゃんと詠めない。言葉は外からやって来たものであり、借り物だから。言葉を支配することはできない。

 読むも詠むも、似ているものを相手にする身振りである。「似ている」はとりとめなく、いたるところに「ある」、または「いる」。人は「似ている」(言葉もその一つ)にもてあそばれるしかない。

 以上が、「似ている」です。

 一方、

「同じ・同一」や「異なる・違う」に取り憑かれている。きわめて、明晰かつ明確な世界。間違いや曖昧さは許されない。というか、正確に言えば、間違いや曖昧さも解明され得る世界であろう。容赦ないのである。

 これが、私の「哲学」についての印象です。あくでも感想です。「異なる・違う」を推し進めて反対語とか対立する概念の存在を当然の前提としていきなり持ち出すという手品のような強引さを感じます。対象が言葉であり、言葉をもちいて記述するのに、です。やることがすごすきます。

 もしそうであれば、こうした世界を指向するのは気質や性格の問題かもしれません。

 矛盾や論理の破綻を当たり前であり自然と考える、「似ている」に導かれる姿勢(これも気質や性格、あるいは認識構造の問題かもしれません)とは、かなり遠い気がします。

「似ている」に導かれて揺れる振れる震れる狂れるぶれる触れる。

ふれるの意味 - goo国語辞書
ふれるとは。意味や解説、類語。[動ラ下一][文]ふ・る[ラ下二]1 (多く「気がふれる」の形で)気がくるう。「気が—・れた
dictionary.goo.ne.jp
 それが私にとっての「考える」であり「思う」なのです。これは、たぶん「ニーチェする」ことなのです(笑)。最後にまたまたふれたことを口にしてしまい、申し訳ありません。ふれということで、ご理解願います。