もう一つの言葉

もう一つの言葉

 言葉は外から来るもの。

 上のフレーズについてあれこれ考えています。いろいろ解釈できる言い方ですが、いったん放った言葉は離れていきますから、それはそれで構わない気がします。とはいうものの、さらに言葉を重ねてみます。いわば追い打ちかけるつもりで、追って逐って負って織って折ってみるのです。

 言葉は外から来るものだということを体感するためには、誰にとっても当たり前化している母語よりも、非母語――自分にとってのもう一つの言葉と言ってもいいかもしれません――との各自の体験を振り返るのがいいように思われます。外国語ではなく非母語としたのには理由があります。

 今頭にあるのは漢文なのです。私には縁遠い話なのですが、かつてこの国には幼い頃から漢文の素読をやらされて育った人たちがたくさんいたらしいからなのです。たとえば、夏目漱石森鷗外はそうした体験というか訓練を受けたそうです。

 漢文の素読や漢文の教育については知りません。私の漠然としたイメージでは、かつてこの国には古代中国語の文語が土着の言葉と並行して使われていた。具体的に言うと、古代中国語がこの国の為政者たちの作成する公文書に用いられていた。さらに言うなら、いわゆる古代中国語の文字、つまり漢字からひらがなやカタカナが作られた。簡単ですが、そんなことを学校で習った覚えがあります。

 古代中国語が主に書き言葉としてこの国で使われてきたというのですから、それを教えるという習慣があり手法が生みだされたに違いありません。それが綿々と続いてきて、たとえば慶応3年(1867年)に生まれた夏目金之助漱石)が漢学私塾二松學舍で漢文を習い、後には漢詩をたしなむまでの素養を身につけた。

 もっとも漢文の知識はエリートに必須の条件であり、ごく一部の国民がその素養を身につけていたことを忘れてはなりません。昔の人は誰もが漢文を読めたわけではないという意味です。まして漢詩を作れたのは、エリートのうちでもさらにごく一部の文人であったと思われます。

 まことに大雑把な図式ですが、そんな伝統というか「制度」があったようです。

 いずれにせよ、現在の日本語と現在の日本の諸制度は漢文なしには、この形では存在していないのであり、漢文を日本語の一部、さらには漢文による古文書を日本文化の一部と見なさないほうが無理があるのではないかと思われます。

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 学校で漢文を習うのが嫌で嫌で仕方なかったという記憶しかない私には、こういう話は、語ることはできても、体感できない不思議な物語に思えます。こうした歴史があったからこそ書かれたに違いない文学作品の数々を、まったくそのような前提を意識することなく読んできたのですから、恐ろしくも感じます。自分の無知に対してです。

 かといって、今から漢文や古文――古文も私にとってはもう一つの言葉です――を勉強する気にはなれません。私は根っからの怠け者なのです。

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 話を戻します。

――言葉は外から来るものだということを体感するためには、誰にとっても当たり前化している母語よりも、非母語との各自の体験を振り返るのがいいように思われます。外国語ではなく非母語としたのには理由があります。

 冒頭でこう書いた理由は、漢文を外国語と呼んでいいのだろうか、というためらいがあったからに他なりません。ややこしいことはさておき、話を進めましょう。

 今頭の中にあることを思いつくままに書いていきます。勢いに任せて書いていきますので、調べ物は後回しになる予定です。今回の記事は、今後の記事のためのメモみたいなものになるかもしれません。

 書いてみないと分からないのです。そんなわけで乱文失礼します。え? 毎度のことだ、ですか? 恐れいります。


母語で書くこと、外国語で書くこと

 自分にとっての「もう一つの言葉」という意味での「非母語」の例として、漢文を考えてみます。私たちにとって英語と並ぶ身近な外国語だからです。

 想像してみてください。漢文で習う漢詩に描かれた風景や風物は古代中国のものなのです。日本語で対応するものを探すのは難しい部分もあるに違いありません。

國破れて 山河在り
城春にして 草木深し
くにやぶれて さんがあり
しろはるにして そうもくふかし

 かろうじて覚えている漢詩に、上のようなものがあります。教科書に出ていたのを暗唱しているのです。すらすらと口をついて出る言葉に、あっけにとられます。こんなものが自分の中にあったのか。気がつきませんでした。不思議でなりません。

 手術の後で、「あなたの体にこんなものがあったよ」とお医者さまに言われたような気分と言えば言いすぎでしょうか。記憶とか暗唱というものの痕跡は、普段は気づかないままに残っているのですね。

 話を戻します。

 この漢詩に描かれた風景は昔々の中国のものなのです。それを昔々の日本人はどう受け止めたのでしょう。戦(いくさ)はどんな民族にも見られますから、昔の日本人もまた自分たちの体験に照らし合わせて読んだのかもしれません。

 このように外国語で書いてあることを読み理解するためには、書かれていることに対応する物や事を想像しなければ、容易に習得できないのではないでしょうか。

 漢文という中国語を日本語で読める技術を開発したり、詩吟という芸術に改造したり――、昔の日本人はすごかったのですね。

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 漢文は古代中国語の文語体です。中国の周辺の国や地域や民族をつなぐリングワ・フランカ(共通語・国際語)でもありました。またそうした地域における為政者の公文書で用いられる書き言葉でもあったようです。

 この国では、漢文は漢文脈とか漢文的な言い回し、あるいは文語体といして、現在の日本語の中に入り混じっていると考えられます。日本人は読み下しやレ点という手品(魔法と言うべきでしょうか)を発明して、中国語の文章を日本語の中に取り入れたのです。

 たとえば、「あの人が妊娠した」(漢語)、「あの人に赤ちゃんができた」(和語)という具合に、日本語は漢語系と大和言葉系の二重構造があると言われます。

――いわば追い打ちかけるつもりで、追って逐って負って織って折ってみるのです。

 冒頭でこのような言葉遊びをしましたが、これは上で述べた二重構造があるからできる遊びです。こんなことができるのはおそらく日本語だけです。やらない手はありません。私は日本語とその特性を愛しています。日本語で遊んでいるのではなく、遊んでもらっているのです。愛おしい言葉です。

 今回私が漢文にこだわったのはこういう理由からなのです。

 言葉は外から来るもの。
 言葉は借り物。
 言葉は内で生きているもの。

リングワ・フランカ - Wikipedia
ja.wikipedia.org

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 英語はどうでしょう。

 私にとって英語は外国語です。今も話すのはもちろん、読み書きにも苦労しますから、第二の母語とはとうてい言えません。中学生になって本格的に英語を勉強し始めた頃を思い出すと、頭の中には常にアメリカがありました。幼い頃にテレビで見たアメリカ製のドラマやアメリカ製の歌を重ね合わせながら学びました。

 私にとって英語は、身の回りの物と対応させて身につけた言葉ではありません。生活の中で覚える。できれば学校の科目を英語で学ぶ。これが語学を第二、第三の母語として学ぶコツだそうですが、分かる気がします。

 とはいえ、この二つの言語の間の「対応」というのは簡単なものではなさそうなのです。

 たとえば、日本語で、米(こめ)、稲(いね)、苗(なえ)、米粒(こめつぶ)、ご飯(ごはん)、飯(めし・いい)、ライス、もみ、白米(はくまい)、精米(せいまい)と呼ばれているものは、すべて英語では基本的に rice と言うそうです。

 次の英語の単語を見てください。

(1) cow、(2) ox、(3) bull、(4) calf、(5) cattle、(6) heifer。

 番号を付けたのには理由があります。これらは基本的には、日本語で「牛・うし」と呼ばれているものなのですが、英語では区別するというか、以上のような別個の単語を当てるのです。順番に、日本語訳を並べます。

(1)雌牛・乳牛、(2)雄牛・去勢雄牛(主に食用・荷役用です)(3)雄牛(去勢していない繁殖用の雄牛です)、(4)子牛、(5)畜牛、牛の群れ、牛の総称(複数として扱います)、(6)(三歳未満で、まだ子を産めない)雌牛。

 日本語では、すべてに「牛」という言葉がついているのに対し、英語では見た目ではまったく別の単語が与えられていることに注目してください。

 日本語を母語としている人たちにとっては、「なんで、牛をわざわざ区別して、まったく違った単語で呼ぶのだろう」という疑問が浮かぶのではないでしょうか(もちろん、上の英単語をすべての英語のネイティブスピーカーが理解しているわけではありません。人それぞれ、英語もそれぞれです)。

 一方、英語を母語としている人たちは、「全部 rice なのに、どうして区別して言うのだろう」と不思議に思うに違いありません。

 つまり、日本語と英語とでは、単語レベルで必ずしも一対一で対応しているわけではないということですね。

 極端な例を挙げましたが、私たちにとって外国語とは基本的に単語レベルで意味やイメージやニュアンスが一対一で対応しないことが体感できたのはないでしょうか。

 さらに言うなら、日本語の「山」と英語の「mountain」、そして日本語の「川・河」と英語の「river」は一対一で対応しないらしいのです。

 國破れて 山河在り

 たぶん、中国語の山と川・河も、そうではないでしょうか。

 日本語であれ、英語であれ、中国語であれ、漢文であれ、言葉というものが、ざらりとした違和感に満ちたものに感じられませんか。つまり、言葉は借り物なのです。個人レベルでも、国や地域や民族レベルでも、です。

 言葉は自分の中にあるのではなく、生まれた時に、既にあった。しかも、自分の外にあったものなのです。それを「真似る・学ぶ」という形で借りて内に入れて身につけたのです。

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 ところで、対応するものを欠いた(生活空間である身の回りに、対応するものが見当たらない)言語を習得するのは、ある意味空疎であり味気ないものでしょうね。遠く離れていて、風景や、食べ物や、季節感や、生えている草木や花が異なる国や地域の言語。

 でも、その空疎や味気なさを日々生きている人たちがいるみたいなのです。「みたい」としたのは、私が実体験として知っていたり体感できることではなく、間接的に知っていて想像するしかない状況だからに他なりません。

 次のような環境にいる人たちを想像してみてください。

 自分の周りでは自分の母語ではない言葉が話されている。そんな環境の中で、自分が唯一自由に話せるのは、父と母ときょうだいの話す言葉だ。その言葉を家族が話すのを聞き真似て覚えた。

 家を一歩外に出れば、知らない言葉が話され書かれている世界がある。テレビで知っている世界だ。物心ついた頃から、知っている世界だ。でも、そこで使われている言葉を自分は知らない。知っているのは挨拶と生活に必要なわずかな単語だけ。

 つまり、自分の母語と、生活空間とが対応していない、一致していない。たとえば、自分の母語にはない「雪」が降る土地、「春」――「春」も母語にはない――になると「桜」が咲き乱れるこの土地に、自分は住み、家族と暮らしている。

 お分かりになったでしょうか。

 そうです。たとえば、ブラジル語、スペイン語ビルマ語(ミャンマーの言葉)、ベトナム語タガログ語インドネシア語、マレー語、ペルシャ語アラビア語です。まだまだたくさんあるに違いありません。思いつかないのは私が単に無知だからです。さらに言うなら、そうした人たちに無関心だからです。恥ずべきことであり、反省すべきことだと思います。

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 そうした人たちの話す言語には、ひょっとすると「雪」や「桜」や「風鈴」や「蛍」や「炬燵」に相当する言葉がないかもしれません。でも、暮らしている「外の世界」つまり、この国にはあるのです。歌に歌われ、文学作品に登場し、この国の風物として欠かすことのできないものと言えるでしょう。

 でも、自分にとっての第一の、あるいは唯一の言語である母語には、それらに相当する言葉がない。

 自分の話す言語に対応する物や事がない言語が、あちこちで話され、看板や標識や印刷物に書かれている国。しかも、その国の文字には、ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字まである。信じられない、夢のような言葉が使われている国に、自分と家族が暮らしている――。

 そんな環境で育った人が「里帰り」した時を想像してみてください。

 自分が家族から習った言葉が話され、書かれている「母国・祖国・ふるさと」。そこで自分が歓迎されるという保証は必ずしもあるわけではありません。

「お前の言葉、何か変だね」「あなた、これを知らないの?」「今まで何を食べてきたの? あなたの作る〇〇は本物じゃないよ。まずいったらありゃしない」「きみって本当に〇〇人?」「やっぱり外から来た人間だ。われわれとは違う、あんたはよそ者だよ」「うそー! これの使い方を知らないの? やれやれ」「何事においても中途半端なんだよね、きみは」「あれを知っているのに、これを知らないの? 変なの」「言葉で知っているけど、実物を知らないって、どういうこと?」「気をつけなよ。きみが秘密工作員だっていう噂を聞いたよ」

「気をつけなよ」で始まる最後の架空の科白は、テレビのドキュメンタリーで聞いた話を脚色したものです。めちゃくちゃ怖くないですか。ヘタをすると刑務所行き、さらには……。

 それぞれが、まったく根拠のないものではないのです。この国で生まれ育ち、日本語を母語として生きてきた人たちには、体感しにくい状況であることは間違いないと思われます。

 今、ひょっとして既視感を覚えている方はいらっしゃいませんか?

 それって、あれと同じじゃん。

 あるいは、嫌な記憶の数々に襲われている方もいらっしゃるでしょう(思い出させて、ごめんなさい)。

 これは私が経験したことだ。

 そうです。帰国子女という言葉で呼ばれている、または呼ばれたことのある人たちと同じです。

 それって、今の私よ、そしてうちの子たちよ。

 海外在住の方は、そう思っていらっしゃるに違いありません。

 上で述べたような厳しかったり悲しい状況は決して他人事ではないのです。

 このように対応物を欠いた言語との接触とは、結局異文化との触れ合いであり摩擦であり、場合によると衝突なのですね。言葉と文化と土地は切り離せません。でも、切り離されることはよくあるのです。

 たぶん、人が移動する生き物だからでしょう。途方もない距離を、です。いい意味でも、悪い意味でも、です。

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 話は飛びますが、海外に在住しながら、日本語で執筆活動をしている(あるいは、してきた)人たちがいますね。多和田葉子さんが頭に浮かびます。言葉と言語について、独特の視点と感性からお書きになった作品は、私の頭を揺さぶるだけでなく、さらには魂をも揺さぶります。その小説やエッセイは、海外で長く生活なさってきた人でなければ書けない見識に満ちています。

 あと、辻仁成さんや塩野七生さんも、忘れるわけにはいきません。

 海外で教育を受け、日本語以外の言語で書いている作家としては、カズオ・イシグロを挙げないわけにはいきません。イシグロの初期の作品である『遠い山なみの光』と『浮世の画家』では日本が描かれていることは注目すべき点であると思います。また、その後、日本を直接取り上げた小説をほとんど書かなくなったことも、また注目していい気がします。

 紹介が最後になりましたが、もちろん、村上春樹がそうですね。村上春樹の多くの作品は海外で執筆されたものです。世界に誇る日本文学の名作の数々(複数の言語にも翻訳されています)が日本以外の土地で書かれた――この事実の意味と重みを噛みしめたいと思っています。

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 日本にいて日本語で、あるいはその人の母語で創作活動をしている書き手にも目を向けないわけにはいきません。そう書きながら、恥ずかしいことにそうした作家について私は、デビット・ゾペティさんとリービ英雄さん以外にほとんど知りません。

 そんなわけで、楊逸(ヤンイー)さんと東山彰良さんについての、そして「日本外国人作家一覧」というタイトルのウィキペディアの解説を参照ください。

日本外国人作家一覧 - Wikipedia
ja.wikipedia.org
Category:越境文学 - Wikipedia
ja.wikipedia.org

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 祖国を遠く離れて、母語で書く、あるいは外国語で書くという状況は、どうやら珍しいことではないようです。こうした状況を珍しく感じるとすれば、その人、またはその人たちは幸せだと言うべきなのかもしれません。これは私自身についての思いでもあります。

 親の転勤だけでなく、経済的あるいは政治的な理由や事情で、そうした境遇にあった人たち、そして現に今そうした状況を生きている人たちおびただしい数になるのではないでしょうか。

 亡命文学とか亡命作家という言い方があります。私には大きすぎるテーマです。ウィキペディアコトバンクの解説に丸投げする無恥をお許し願います。

Category:亡命文学 - Wikipedia
ja.wikipedia.org
亡命文学とは - コトバンク
日本大百科全書(ニッポニカ) - 亡命文学の用語解説 - 政治的・人種的・宗教的理由によって祖国を離れたり追われたりして、
kotobank.jp

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 そうそう、アーネスト・ヘミングウェイを忘れるわけにはいきません。ヘミングウェイの主要な作品群は祖国アメリカを離れて書かれたものです。ヘミングウェイが長期滞在していたフランスのパリにおけるガートルード・スタインと彼女を取り巻く人物たちにも注目したいところです。

 ヘミングウェイとガートルド・スタインの国籍はアメリカ合衆国ですが、ヨーロッパおよび英国となると、地続きであったり、海峡で隔たっているだけですから、祖国を離れて活動する作家や音楽家や芸術家の例は枚挙にいとまがないと言うべきでしょうね。

 そういえば、今集中的に読んでいるパトリシア・ハイスミスも祖国を離れて創作していた作家だと気がづきました。英仏両語での著作もあるサミュエル・ベケットもそうです。多言語に通じたナボコフルーマニア語だけでなくフランス語で書いていたシオラン。同じくルーマニア出身のエリアーデもいたなあ。英語でも書いたウィトゲンシュタインも、そうなのか。そうだ、フランス語で書いたアゴタ・クリストフがいた。

 話がいつの間にか非母語で書く作家へと越境してきました。人は移動し越境する生き物なのだとつくづく感じます。このテーマは奥が深そうで、収拾がつかなくなってきたようなので、この辺でストップします。

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 どうでしょう。

 言葉は外から来るもの――。このフレーズで私が言いたいことが、体感とまではいかなくても、想像力を働かせることで、いくらか具体的にお分かりいただけたとしたら、嬉しいです。

 いい意味でみなさんを揺さぶろうとして、意識的にいろいろなケースを挙げたので、話があちこちに飛び、まるで乱暴な運転みたいで、景色が目に入らなかったのではないかと心配もしております。

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 言葉は外から来たものです。育った場所や時代が異なれば、覚えて身につける言葉も異なります。英語、日本語、アラビア語、中世ドイツ語、古代ギリシャ語、古代中国語……。でも大丈夫。翻訳ができます。不思議です。摩訶不思議。言葉は魔法。イッツ・マジック。イッツ・ア・ミラクル。

(拙文「言葉は外から来るもの」から引用)

 

バベルの塔、そしてバベルの後に

 では、今回の記事をまとめます。

 言葉は外から来るものなのです。

 当たり前化した母語だと、言葉が内から出てくるものだという気がします。それは確かにそうなんですけど、もともと内にあるものではありません。

 親や育った環境が異なれば、異なった言葉を身につけるのが人という生き物です。これは当たり前のことなのですが、体感するのは難しいかもしれません。

 言葉が外から来るものだということを体感するのに適しているのは、日本における漢文であり、古文であり、多くの人にとって第一の外国語となっている英語ではないでしょうか。

 英語は外国語ですが、漢文も古文も、非母語という意味では外国語です。そうした言葉を身につけるのは、いわば異物を体内に入れるような事態だと言えそうです。でも、よく考えると、既に体内に入っている日本語もまた異物であったことを忘れてはならないのではないでしょうか。

 たまたま日本語だったのです。必然性はありません。当たり前に思えますが当たり前ではなかったのです。複数の言語が使用されている国や地域では、このような言語の異物感は日常に経験され体感されている事実なのかもしれません。

 私はそうした海外での長期滞在の経験がないので、知りません。想像するしかないという意味です。そこで、今回はいろいろな例を挙げて、ひたすら想像するという方法を取りました。

【さらには、母語で書くことも「外国語」で書くことであるという考え方もできます。いつかはこの視点で記事を書きたいのですが、ご興味のある方には、参考文献として『カフカ マイナー文学のために』(ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ共著 宇野邦一訳)をお薦めします。私は学生時代に読んだのですが、新訳が出たもようです。刺激的な著作です。】

 それにしても、翻訳は不思議ですね。翻訳ということができる、このおかげで人はここまで来ることができたのです。さもなければ、人類はばらばらで、知や情報を伝達したり共有したり継承することはできなかったに違いありません。

 言語の習得や翻訳という行為の根底には「うつす・うつる」という身振りがあります。これについては以下の引用のある「剽窃から遠く離れて あるいは引用の織物」という記事に触れてあるので、ご興味のある方は、ご覧ください。

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 言葉、文字
 聖書の写本
 経典の写本
 源氏物語の写本

 うつす、写す、移す、映す、遷す、撮す、伝染す
 うつる、写る、移る、映る、遷る、撮る、伝染る

(拙文「剽窃から遠く離れて あるいは引用の織物」から引用)


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 こうやって見てくると、世界一のベストセラーであり、世界で最も多言語に翻訳された書物と言われている聖書の、旧約聖書バベルの塔の話があるのが、象徴的に思えてきてなりません。

 バベルといえば多言語に通じていたジョージ・スタイナーの『バベルの後に〈上〉言葉と翻訳の諸相』が思い出されます。バベルの後に、人類にはどういうことが起きたのか――。もっと読まれていい著作家です。

バベルの塔 - Wikipedia
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叢書・ウニベルシタス バベルの後に〈上〉言葉と翻訳の諸相
哲学的な問題意識、文学的な感受性、技術的な言語学を統合し、言語そのものを解明する試み。
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叢書・ウニベルシタス バベルの後に〈下〉
古今の芸術思想、言語・文学理論、英仏独語の表現に通暁した現代随一の批評家が、文化史、哲学史の沃野を渉猟しつつ、言語の複数性
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