かわる(1)-かわる(5)

かわる(1)

 かわる。

 こうやってひらがなでぽつりと書いてみると、漠然として、とりとめのない感じがするのは、日本語が大和言葉系の言葉と漢語系の言葉から成り立っているからだと思われます。変わる。代わる。換わる。替わる。漢字に置き換えてみると、ひらがなだけの「かわる」が、いろいろな意味やイメージを担っているさまが浮き彫りになります。辞書で「かわる」を引いて、いくつかに分かれた意味の項目と定義と、それに当てる漢字との関係を見ていると、不思議な思いに駆られます。

 もともと日本語には文字がなかったという説が有力です。だから、中国語の文字である漢字を変形して、ひらがなとカタカナを作ったそうです。かつてはどう発音され、どういう活用をしていたかは知りませんが、「かわる」や「かえる」に相当する言葉が、前後関係だけを頼りにコミュニケーションの道具として使われていた時代、つまり文字のなかった時代を想像してみましょう。

 そう言われても、これまた漠然として、とりとめのない感じがしますね。想像しようにも、とっかかりになるものがありません。では、発想の転換をしましょう。文字が存在しなかった昔のことなどを考えようとするから、話がややこしくなるのですよね。やめましょう。よく考えてみると、日常生活の会話でのレベルならば、「かわる」と「かえる」の使用法については、現在でも状況はそれほど変わらないのではないでしょうか。

「ねえ、そろそろカーテンを新しいのにかえようよ」、「あっ、もうすぐ信号が赤にかわるよ」、「ほんとう? また、あの人、仕事がかわったの?」、「このお味噌汁、おかわりしてもいい?」、「この会社では、専務にとってかわる、これぞという人物がいないことが最大の問題だ」、「最近の○○ちゃん、ここに初めて来た時とくらべると、ずいぶんかわったね」、「じゃあ、そのかわりにあなたがお風呂掃除をしてね」、「かわりばんこに運転しながら、大阪まで行ったの」、「きょうは、わたしがお母さんにかわって夕ご飯をつくります」、「君のおじいちゃんって、かなりかわった人だよね」

 このように、しゃべっている分には不自由はしないと思われます。

 ところが、以上の例文での「かわる」と「かえる」に漢字を当てようとすると、自信を持って漢字をまじえた文に変換できるものもあれば、かなり迷うものもあるのではないでしょうか。変、代、換、替のうちのどれを当てるのか? パソコンのワープロソフトには、当然のことながら変換機能がついています。変換に迷った時に助けとなるような、簡潔な説明や例が示してあるので役立ちます。それでも、迷うことがあります。そんな時には、辞書を引きますが、それで解決することもあれば、とりあえず、最も適切と思われる漢字を当てたり、自信がないのでひらがなのままで書くこともあると思います。

 漢字の読み書きのテストを除けば、いざとなったらひらがなで書けばいい。こう思うと楽ですね。これが日本語の有り難い点でもあるのです。

かわる(2)

「かわる」という言葉にこだわってみたいと思います。一日に一度は口にしたり書いたりしそうな言葉であり、さまざまな意味や記憶やイメージを呼び起こしてくれる言葉です。「かわる」という言葉を言い換えるとすれば、どんな言葉が浮かびますか? 「変わる」「代わる」「換わる」「替わる」とワープロソフトを用いて変換すると、意味が具体性を帯び、イメージが膨らんできますね。それは

*「かわる」がわかってくる

からです。「かわる」が「わかる」とは、言葉の遊びです。もっと遊んでみましょう。

*わかる。分かる。判る。解る。別る。

 こうすると、「わかる」がわかってきませんか?「わける」でも、できそうです。

*わける。分ける。別ける。

 さらに、「わける」もわけることができそうです。駄洒落となるのを覚悟でもっと遊んでみます。

*わける。沸ける。湧ける。涌ける。

 わけがわからないですよね。せっかくここまで来たんですから、さらにエスカレートさせてみるのもいいでしょう。

*わく。沸く。湧く。涌く。枠。惑。和久。ワク。わくわく。waku。WAKU。

 突拍子もないものまで出てきて、並列されています。「かわる」が「わかる」、「わかる」が「わかる」、「わかる」が「かわる」、さらに「わける」を「わける」ことで「わく」がわいて、わくわくしてきた、という感じでしょうか。

 駄洒落やオヤジギャクと呼ばれているものは、こういう脈絡を欠いた言葉の連なりを意識的に、あるいは無意識のうちに頭に浮かべながら、作られるのかもしれません。この種の作業に、わくわくする人がいます。ここにもいます。あなたは、どうですか? くだらない? そう思われる方のほうが、多いのではないでしょうか。それはそれで、よくわかりますけど。

     *

 いずれにせよ、

*「かわる」という言葉の意味やイメージが、漢字を当てることによって「わかる」ようになる

という過程は、駄洒落のようでありながら、ある程度「言えてる」ことだと考えられます。ちょっと理屈をつけたくなりましたので、やってみます。

「かわる」という「多重的な=多層的な=多義的な=ぐちゃぐちゃした」「話し言葉=音声」、

および、

ひらがなで表記された「言葉=書き言葉=文字」、

つまり、

「とりとめのない記号=まぼろし

が、

「わかる」という「多重的=多層的=多義的=ぐちゃぐちゃした」「話し言葉=音声」、

および、

ひらがなで表記された「言葉=書き言葉=文字」、

つまり、

「とりとめのない記号=まぼろし

によって、

わけられる=分けられる=分類される=分別される=区別される=整理される=理解される=意識される=知覚される

ということになります。

 そのさいに、

大きな役割を果たすのが、漢字=感じ=感字=かつての中国語である、

と思われます。

 簡単に言えば、

*ひらがなが漢字の助けを借りて意味がとりやすくなる

という一例です。こう書くと、つい「もしも」と考えてしまいます。もしも、日本語が歴史的経緯によりひらがなだけで表記される言語であったとしたら、日本と日本語はどうなっていたでしょう? この疑問文の「ひらがな」を「ローマ字」に置き換えても、いいでしょう。

 実際、かつて日本語をローマ字表記にしようとする運動があったと聞いた覚えがあります。そう考えると、朝鮮半島におけるハングルの使用、そして中国での表記のアルファベット化運動も、頭に浮かびます。

 上述の日本語についての「もしも」について考えると、思わずうなり声が出てきて、キーボードを叩く指が止まってしまいます。

かわる(3)

「わかる」というひらがなで書かれた言葉に、漢字=感字を当てる、つまり漢字をまじえることで意味が分類される=区別される=明確になる。

 このように書くと、いいこと尽くめのような印象を抱きそうになりますが、果たしてそうでしょうか?

 ところで、寄り道になりますが、ここで「感字」という言葉について説明をする必要を感じます。好きな言葉なのですが、「感字」のように辞書に載っていない言葉遣いや言葉を使用するさいには、よくグーグルなどで "○○" というふうに括弧でくくって検索します。想像したよりもヒット数が多くて驚くことが珍しくありません。また、ヒットしたサイトをのぞいてみて、その使われ方と自分の使い方とを比較してみるのもおもしろいです。似ている場合も、まったく違う場合もあります。

「感字」という言葉については、初めて見聞きしたのが、いつなのかは覚えていません。手元にある複数の辞書には載っていないことは確かですが、グーグルで調べた限りでは、かなり普及している言葉だと思います。個人的には、感字は夏目漱石の当て字をイメージして使っています。漱石の感字=当て字には感心させられるものが多く、自分なんかは「漱石の感字のファン」だと言っても言いすぎではないと思っています。

     *

 さて、さきほど書いて宙吊りになったままの問いを、少し変えて繰り返します。

 ひらがなだけで書かれた言葉に漢字を当てることは、便利なことでしょうか?

 意味が明確になるのだから、便利というか、良いことに決まっているではないか。勝手に、そんな返答を想像してしまいます。書き言葉であれば、ひらがなだけで書くよりも、辞書的に「正しい」とされている表記にしたがって書くことが求められる場合があることは確かです。

 この文章を書いているパソコンの脇に『朝日新聞の用語の手引』という本があります。かつて仕事で文章を書いていたころには、それにしたがって表記するように指示されました。たとえば、出版関係の仕事にたずさわる人のために手本=標準となるような表記法があることは納得できます。でも、メールや、ブログ、手紙といった私的な文書において、漢字をまじえた「正しい」表記法は便利なものと言えるでしょうか?

 自分の好きなように書けばいい。

 結論をいうなら、そう思います。もちろん、程度や限度はあるでしょう。ただ、コミュニケーションの道具としてなら、想定する相手に通じればいいし、日記のような自分だけのものなら、自分がわかりさえすればいいでしょう。

「正しい」と「正しくない」は、そういう区別が好きな人同士や、かつての国語審議会の役割を果たしている現在の文化審議会国語分科会が勝手にやっていればいい(※ただし税金が使われていることを忘れてはなりません)。そう考えています。

 こう書いたところで、疑問が浮かびました。そもそも、言葉遣いが「正しい」とか「正しくない」とはどういうことなのでしょう?

かわる(4)

 言葉遣いが「正しい」か「正しくない」かを、送り仮名の付け方に絞って考えてみましょう。簡単に言えば、たとえば「わかる」にどんな漢字を当て、ひらがなとの配分をどうするかです。手元にある複数の辞書と新聞社系の用字用語集を参考にして、以下にまとめてみます。

*「わかる」=「分かる」=「別る」=「解る」=「判る」

 このように、「わかる」を表記することが「可能」であり、「標準的には」「分かる」と表記するように「なっている」ようです。「なっている」を「勧めている」と理解する人もいるでしょうし、「決められている」と受けとめる人もいるでしょうし、「強制されている」と感じる人もいるでしょう。

 いずれにせよ、「分かる」と表記するのが「正しい」と考えているのに近いスタンスだと思います。みなさんの中に「『分かる』だけを使うなんて、もったいないなあ」と感じる方は、いらっしゃいませんか? 次の表みたいなものをご覧ください。

*「分」 ⇒ わける、バラバラにする、わきまえる、おのれを知る、わけて配る、デリバリー、というイメージ。
「分別(=ふんべつ)」「分解」「分離」「分裂」「野分(=のわけ)」「分水嶺」「分析」「微分」「通分」「分類」「分家」「部分」「五分五分」「春分」「秋分」「身分」「分際」「区分」「分割」「分配」「分譲」「分担」……

*「別」 ⇒ わかれる、バイバイ、さよなら、ちょっぴりさみしい、離れる、他とは違う、ゴーイング・マイウェイ、ああ何と薄情な、わける、というイメージ。
「別離」「死別」「別居」「送別」「餞別」「特別」「格別」「別格」「区別」「分別(=ぶんべつ)」「判別」「大別」「差別」「千差万別」「識別」「鑑別」「別荘」「別個」「別記」「個別」……

*「解」 ⇒ とく、バラバラ、わける、帯なんかをほどく、よかったね、ゆるゆる、自由にしてやる、バイバイ、余計なものを取り除く、脱がしちゃう、説明する、謎をとく、なっとく、わかる、どれどれ見せてごらん、なるほど、やっぱり、そうだったのか、というイメージ。
「解体」「分解」「解剖」「和解」「溶解」「融解」「解放」「解禁」「解散」「解雇」「解毒」「解熱」「解消」「解除」「解決」「理解」「誤解」「難解」「不可解」「氷解」「解明」「読解」「明解」「詳解」「図解」「解釈」「見解」「解説」「解析」「解答」……

*「判」 ⇒ わかる、ガッテン、なるほど、われる、明らかになる、白黒をつける、暴露される、さばく、けちをつける、ポンと押す、印をつける、というイメージ。
「判断」「判別」「判定」「判明」「判読」「判決」「裁判」「判事」「公判」「審判」「判例」「批判」「談判」「評判」「判子」「血判」……

 以上は、複数の漢和辞典などをもとにして、「わかる」に当てはめることが「可能な」各漢字のイメージを調べて分類してみたものです。何ぶんにも素人のやっつけ仕事であることを、ご承知おき願います。また、こうした分類は漢和辞典によっても、微妙に異なることも付け加えておきます。「とりあえず」、こんなふうにも「わけられる」、あるいは、このブログを書いている者の「個人の感想」くらいに受け止めてください。

「いやに、ごちゃごちゃしているなあ。すっきりいこうよ。『わかる』は『分かる』でわかるじゃないの。これで決まり」

といったふうにお「感じ」になりましたか? それとも、

「これで『わかる』の意味が整理できたような気がするけど、『分かる』だけじゃなくて、場合によっては『別る』や『解る』や『判る』もあっていいかな」

とお思いになりましたか? 個人的には、「わかる」に当てる漢字として「分」だけを採用して、「別」「解」「判」を捨てるなんて「もったいないなあ」という気持ちが強いです。あなたは、どうお「感じ」になりますか?

かわる(5)

 いつの間にか、「かわる」の話が「わかる」の話になってしまいました。「かわる」から「わかる」にテーマが変わり、「かわる」に代わって「わかる」が登場し、「かわる」の話が「わかる」にすり替わった、ということです。とはいえ(というよりも、したがって)、一貫して「かわる」について書いているつもりなのですが、分かっていただけますでしょうか?

 というわけで、「かわる・かえる」という言葉について、「わかる・わける」と同様の表みたいなものを作ってみたいと思います。そうすれば、「わかる・わける」と「かわる・かえる」が、シンクロ状態=重なり合っているさまがわかるはずなのです。では、さっそく試してみます。

     *

 まず、前提です。

*「かわる」=「変わる(or 変る)」=「代わる(or 代る)」=「替わる(or 替る)」=「換わる(換or る)」

 以上が、送り仮名で見た「かわる」のとりあえずの全貌です。次に、上で使われている個々の漢字にまつわるイメージを、複数の漢和辞典や、国語辞典、用字用語集を参照しながら、アマチュアの立場からまとめてみます。

*「変」 → ものごとの状態や質や内容が以前と異なった状態になる、変化する、良し悪しは別にしてこれまでとは違うことは確か、化ける、あれあれ、あれよあれよ、ふつうじゃない、うへっ、尋常ではない、不気味だ、いやだあ、異様だ、あらまあ、変だ、おかしい、二つ(※あるいはそれより多い数)のものがそれぞれ違っている、妙なことが起きる、突然起こる、わざわい、困った困った、何だこれは、どうなってるんだ、乱れる、くるう、時があらたまる、場所がうつる、動く、ありゃいつのまにかこんな(or あんな)ところに、というイメージ。
「変化」「不変」「変革」「変容」「変移」「変質」「変調」「変転」「変貌」「豹変」「激変」「劇変」「臨機応変」「変装」「変相」「変速」「変性」「変成」「変声期」「変名」「変節」「変心」「変身」「変遷」「変更」「変異」「異変」「凶変」「地変」「事変」「政変」「変死」「変幻」「変人」「変質者」「変種」「変則」「変体」「変態」「大変」「変乱」「変事」「変換」「変動」……

*「代」 → AのかわりにBを用いる、かわって引き継ぐ、今度はこれを使うのね、○○と申しますよろしく、みがわり、○○(or ○○たち)になりかわりましておつとめさせていただきます、入れ違い、新しいのはいいけどこんなんで大丈夫かしら、かわるがわる、いれかわりたちかわり時は過ぎる、時世、あれのかわりにこんなにもらっちゃった、あたい、これとあれが同等だっていうことなのか、かち、ねだん、というイメージ。
「代理」「(交代)」「(身代わり)」「代人」「名代」「代表」「代行」「総代」「代官」「代議士」「代議員」「代議制度」「代用」「代書」「代筆」「代講」「代弁」「代々」「世代」「時代」「歴代」「上代」「末代」「古代」「近代」「現代」「当代」「先代」「初代」「稀代」「希代」「代償」「身代」「代金」……
(※( )は別の漢字を当てる場合があるものです)

*「替」 → Aに入れかわってBになる、今度はこっちの番、入れ違い、今度はこんなのが来たよ、○○と申しますよろしく、おっ新顔だね、これが駄目になったから捨てちゃう、あっちにしよう、時があらたまる、というイメージ。
「(交替)」「(替え玉)」「(身替わり)」「(引き替え・引替え・引替)」「(取り替え・取替え・取替)」「(組み替え・組替え・組替)」「(入れ替え・入替え・入替)」「(言い替え・言替え)」「(借り替え・借り替え)」「(着替え)」「(差し替え・差替え)」「替え歌・替歌」「両替」「為替」「鞍替え・鞍替」「付け替え・付替え」「クラス替え」「商売替え」「国替え・国替」「組織替え」「吹き替え・吹替え」「振り替え・振替え・振替」「月替わり」「年度替り」「日替わり」……

*「換」 → AとBとをかえる、とりかえる、入れ違い、差し引きゼロ、○○さんだと思ってお相手しますからね、○○さんだと思って何なりとお申し付けください、新しく来たものの役目と役割を重視する、これで役に立たなかったらクレームどころか返品だ、というイメージ。
「交換」「(換え玉)」「(引き換え・引換え・引換)」「(取り換え・取換え・取換)」「(組み換え・組換え・組換)」「(入れ換え・入換え・入換)」「(言い換え・言換え)」「(借り換え・借換え・借換)」「(着換え)」「(差し換え・差換え)」(「置き換え・置換え)」「変換」「転換」「置換(ちかん)」「換気」「乗り換え・乗換え・乗換」「換言」「換金」「兌換」「換算」……

 以上は、即席に作成したリストなので、だいたい感覚的にはこんなものではないか、くらいに理解してください。

     *

 さて、

*「かわる・かえる」と「わかる・わける」がシンクロする=かぶる=ダブる=重なる=関連し合う部分がある

ことに、お気づきになったでしょうか? 上のリストを眺めていて、次のように思いました。

*「かわる・かえる」と「わかる・わける」のイメージを比較してわかるように、言葉はでたらめ=いい加減=ほぼ支離滅裂と言っていいほど、ぐちゃぐちゃした構造を備えているらしい。そのぐちゃぐちゃから、ヒトは自分の都合に合わせて、理路整然=論理的=すっきりした意味をくみ取っているらしい。その意味において、ヒトという生き物は頭がいい=高度な情報処理能力を有していると言えそうだ

です。ややこしいことを書いて申し訳ありません。うんと簡略化して言い直します。

 コンピューターで処理された画像、たとえばXXの写真をパソコンやスマホのディスプレイで見て、「これは何か?」と尋ねられたとき、間違っても画素の集まりであると答えてはなりません。しらーっとした表情で、

*これはXXです

と口にすれば、それでいいのです。また、こうも言えるでしょう。トイレの壁の染みを見て、それが〇〇に見えたら、そんな自分を素直に受け入れる。

*それは〇〇なのです。

 大丈夫。誰もあなたを軽蔑しませんから。それがヒトというものだと考えましょう。胸を張っていいのです。まぼろしまぼろしと受け取ってこそ、ヒトだなのです。それこそ、ヒトの道だと言えます。

 というわけで、今あなたの目にしているものは言葉であり、もっと詳しく言うと文字であり活字なのです。本を読みながら、自分が目にしているのはインクの染みだなんて意識しないのと同じです。画素やインクが意味あるのものに「かわる・かえる」、したがって「わかる・わける」とも言えます。だから、画素の集積だなんて野暮なこと(あるいは危ういこと)を考えたり口にするのはやめましょう。へそ曲がりとか、偏屈者とかを通りこして、ひとでなしになってしまいます。

     *

 くどいと言われるのを覚悟のうえで「かわる・かえる」と「わかる・わける」をまとめますね。

 ヒトの情報処理能力は敏感さと鈍感さの同居の上に成り立っています。どちらが欠けても、あるいは過剰になってもいけません。敏感さと鈍感さの絶妙なバランスが大切です。そのバランスが維持されているからこそ、パソコンやスマホを使うことができ、本が読めるのです。さらに――話が飛躍しますが――日常生活を平穏無事に送り、生まれ死ぬという生き物としての一生をまっとうすることができるのです。その意味で、ヒトのからだは(ヒトだけでなく、あらゆる生きとし生けるもののからだは)うまくできています。いい仕事をしています。

 ヒトにおいては、知覚、認識、ひいては言語の使用、そのいずれの段階においても、

*ぐちゃぐちゃごちゃごちゃから、一個のヒトとしての自分の都合に合わせて、理路整然=論理的=くっきりはっきり=すっきりした意味をくみ取る(=かわる・かえる、そして、わかる・わける)のがヒトとしての基本的なありようである

と言えそうです。ぐちゃぐちゃした言い方で申し訳ありません。