占い・占う/賭け・賭ける(連載「かく・かける」の補遺)

占い・占う(連載「かく・かける」の補遺)

 何かに何かを見る。

 これがヒトの習性のようです。出だしで書いた文の、前者の「何か」と後者の「何か」が、異なっているのは言うまでもありません。両者とも「幻想」であり、そうした「見る」仕組み=メカニズムを「錯覚」であると言って片付けることも可能です。それでは、身も蓋もありません。愛想もなし。それを言っちゃおしまい。と、いうことになります。ですので、身も蓋もあり、愛想もあり、それを言っちゃおしまいのうちの「それ」を言わない話をしましょう。

 このところ書き続けてきた、「かく・かける」シリーズの最終回では「身も蓋もない」「愛想がない」「それを言っちゃおしまい」的な状況になりましたので気を取り直し、今回は、補遺=ほい=ごきぶりほいほい=おまけ=付録=追加を書きたいと思います。ですので、話は、連載「かく・かける」の最終回までの一連の記事とつながっています。「占い」については、「かく・かける(1)」で、触れました。今回は、あの記事とは別の視点から、「占い・占う」をテーマに書いてみます。

     *

「占い」は、この惑星に生息するヒトという種に、共通した行為=行動のようです。文化人類学、考古学、歴史学社会学、文学などでも、さかんに扱われています。何しろ、面白いのです。個人的も、興味があります。種類を挙げたら、切りのないほど出てきます。種類別に「占い」を列挙しようとしましたが、うんざりしそうなので、やめました。ここは、言葉のフェティシストのはしくれが開設しているブログなので、観念や概念よりも言葉に注目してみます。

「うらない・占い」という大和言葉系の言葉が、「うらかた・占形=占象=卜兆」と呼ばれる、亀の甲や鹿の肩甲骨を焼いたさいに生じる裂け目・割れ目の形で、吉凶を占う行為から来ていることは、大きめの辞書を引くと知ることができます。そういえば、「亀裂」という言葉がありますね。なぜ、カメさんやシカさんなのでしょうか? 調べれば、分かるでしょうが、興味はありません。

 ここで思い出しましたが、「なる(8)」で「唯○論」なるものと占いの類似について書いたことがありました。以下に引用します。

     *

「唯○論」という言い方があります。ある特定のものごとや現象や特質みたいなものを用いて、森羅万象をひっくるめて面倒みよう、といった場合に用いるネーミングの産物、あるいはブランドのことです。グーグルなどで検索するさいに、半角の「*」を使うことがありますね。試しに "唯*論" で検索してみたところ、あるはあるは、そのヒット数の多さにびっくりしました。まず、以前に見聞きしたことのあるものを列挙します。

 唯幻論=唯心論=唯物論=唯臓論=唯言論=唯我論=唯脳論=唯神論=唯金論……

 次に、初めて見たものの中で、特に印象的だった使用例を並べます。

 唯ゲーム論=唯エネルギー論=唯情報論=唯退屈論=唯創論=唯遺伝子論……

 この言葉の羅列を見て感じるのは、

*「唯○論」というのは、メタな立場=「これですべてが解決=説明=解明できるぞ。大したものだろ」という視座に立ちたいという欲望である。

と言えそうです。でも、これまで見聞したところでは、メタな位置に立とうとするとメタメタ=めちゃくちゃになることは確かです。だから、わざと上の言葉を全部「=」で結びました。ちなみに、「=」は一種の感字であり感覚的なものです。「すべての面倒をみる」というメタな心意気があれば、ほかの「唯○論」と「=」で結んでもいいことになります。

 なにしろ「何でも面倒をみよう! まかせとき!」というのですから。ということは、「=」は権威のあるお墨付きの印(しるし)であり、5つ星とか勲章みたいな「栄誉」のシンボルということになりませんか? つまり、

幻=心=物=臓=言=我=脳=神=金=ゲーム=エネルギー=情報=退屈=創=遺伝子……

という「存在の偉大なる連鎖」が形作られると言えます。やっぱり、「ぜんぶ、わたしに、まかせなさい!」状態です。

 それにしても、すごく貪欲というか野心的な考え方ですね。思わず、占いを連想してしまいました。星、タロット、トロッコ、水晶、ミラーボール、姓名、生年月日、茶柱、貝柱、おみくじ、恋するフォーチュンくっきー!、動物、植物、ミジンコ、鉱物、風水、噴水、筆跡、指紋、声紋、鼻紋、DNA、ハンコ、電子サイン、印鑑、きんかん、印章、印象、髪型、寝癖、歯型、黒子(ほくろ)、白子、明太子、色、エロ、亀の甲羅、ナオこーら、おかゆオートミール、夢、霊感、性感、手相、人相、顔芸、骨相、家相、仮装、女装、鏡、りゅうじ、ひげ、はげ、まげ、鼻糞の色と質、朝一番のおしっこの色と透明度、しいたけ、さるのこしかけ、オーラ、おらしんのすけ……。「何でもあり」が「何でも占っちゃう」。

 それは脇に置いて、上記のような列挙作業をしたのには、理由があります。このブログでやっていることが、

*「唯○論」という「まぼろし」を形成する作業に似ている

からです。そういうわけで、このブログにはそんな野心は毛ほどもありません、と断っておきたいのです。

     *

 引用が、以上です。

 さて、今、ここにある、ものたちやことたち、手もちの知識や記憶、自分のあたまやからだ――できるだけ、そうした近くにあって知覚できるものやことで、済まそう。これが、このブログの基本的なスタンスなのです。もっとも、格好をつけて言えばの話であり、ぶっちゃけた話が、横着で無精なのです。また、あくまでも、「基本的な」話であって、ときには、はりきっていろいろ調べまくるなんてこともします。

 というわけで、ふたたび言葉に注目してみます。今度は、英語です。英語で「占い師」を fortune teller と言う場合があります。diviner とも言うそうです。結論から申しますと、前者は運とか偶然、後者は神と関係があります。あとは、占うさいに何を用いるかといったツール=道具=パーツ=部品一式に由来する言葉が、たくさんあります。これも、列挙するのが面倒そうなので、とにかく多種多様な占いの方法=メソッド=流派=お店=協会=集団=サークル活動=商売があると、理解してください。

 個人的に、すごく興味がある言葉に

*予言

と、

*預言

があります。

 予言は、辞書によると、ヨーロッパ系の意味と、仏教系の意味の両方があります。一方、預言は、キリスト教系の言葉に当てた漢字らしいです。以下に、まとめてみましょう。

*予言 : 予め、未来の出来事を推測して言う。

*預言 : 預言者という特殊な能力を持った人が、神から預けられた言葉を、一般の人たちに言う。あるいは、その行為を用いて、神への信仰を勧誘する。なお、預言者の言葉を書き記したものを預言書という。

らしいです。

 上の2つの「予言・預言」の説明を見ていると、

*予と預の、符合=符号=引合せ(※ひきあわせ)

が気に掛かり=懸かります。「何か引っ掛かる」という言い方がありますね。ついつい、気になって、こだわってしまう、みたいな感覚を言います。宙に浮いたような感じと言ってもいいでしょう。

 そこで、漢和辞典で調べてみました。すると、ややこしい説明がいろいろあって、困ってしまいました。でも、丹念に目を通し、素人なりに、次のように簡単に整理しちゃいました。このブログでは「正しい」「正しくない」ごっこはしません。ゲイ・サイエンス=楽問=「楽しいお勉強ごっこ」をやっているんです。ですので、自分にとって面白そうな=おいしそうな=楽しそうな部分だけ、まとめてみました。

*予 : 「あげちゃう」「のんびりいこうよ」「まえもって、ゆとりをもってね。そのときになって、焦っちゃだめよ」「はい、確かに、お預かりいたします。おまかせあれ」「のびのび。あれあれ、そんな遠くまでいくの~?」「ひゅーっと流れるように」

*預 : 「まえもって、ゆとりをもってね。そのときになって、焦っちゃだめよ」「あとは気楽にいこうよ。まったり主義でね」「はい、確かに、お預かりいたします。少しのあいだ、うちに置いておくからね。おまかせあれ」「お預けしま~す。あとはよろしくね」「これだけの人をずらーっと集めておけば、何があってもだいじょうぶ。よっしゃあ」

 こんなん出ましたけど、という感じです。

 違いがお分かりになりますか? これでも、それなりに一生懸命に2種類の漢和辞典を見比べて、感じ=漢字=感字たことを、それなりに忠実に書いたつもりなんです。

*あんまり、大した違いはない。

と結論づけても、いいのではないでしょうか? そういう前提で話を続けますよ。で、思ったのですが、

*「予」と「預」に共通する「余」裕は、「予=余=我(※われ=わたくし)=自分(※じぶん)」が、「何かどえらいもの」の代わりを務めている=装っている=演じている=化けているという、自信(=自分を信じること=自己催眠=なりきり状態=たぶん勘違い)から来ているのではないか。

 そんなふうに、お感じになりませんか?

 このシリーズをお読みになっている方から、「また、あれかよー。勘弁してよ」「芸がなさすぎる」「ネタ切れか?」とお叱り=諦め=「どうにでも、好きなようにしてちょうだい」というお言葉を頂戴するのを覚悟のうえで、「かく・かける(1)」で、「1カ月早い、ひな祭り」を自己輸血=自己引用したところを、再度、自己輸血=自己引用したさせていただきます。

 これって、「コピーのコピー」=「複製の複製」などとも申しまして、「トリトメのない記号=まぼろし」って、このブログで呼んでいるものなのです。ええっ? 「そんな言葉で、お茶を濁す=格好をつける=自己正当化するんじゃない」ですか? ごもっともです。失礼いたしました。とにかく、お読み願います。

     *

★★この問題について、「1カ月早い、ひな祭り」という記事のなかに、「占い」と宗教の発生がらみで書いた部分がありますので、横着をして、自己輸血=自己引用=コピペをさせてください。ちょっとおふざけ気味の文体ですが、それは内容のシリアスさを薄めるためです。本気で書いたものですので、そこのところをご理解願います。

★「 ひな壇 」とピラミッドは、司法・立法・行政には付きもの。代理、代行、代議士、代表、総代が、うようよ。ハンコぺたぺたのペーパーワーク。このへんが不明の方は、当ブログのバックナンバー、「 あなたなら、どうしますか?」 、「 やっぱり、ハンコは偉い 」 を参照願います。面倒な方は、このまま、引き続き、どうぞ。「 ひな壇 」は「 虎の威=衣 」とセットで、クラス分け、棲み分けして、暮らすわけ。これが代々続けば、2世、3世、そして、世襲。仲間うちで譲ったり、譲り合えば、天下り、渡り、渡る天下に鬼はなし。

 蛇足ながら、「 虎の威=衣 」は「 虎の位 」、ピンからキリまで、枚挙にいとまなし。フェイクファーのパンツから、スマトラ産の超高級品の上下一式の被り物まで、多岐にわたる。引退後は、民間人をさておいて、真っ先に褒章、勲章までもらえる。ワッペン張って、大威張り。首から下げて、涙腺を緩めるのが、最後のご奉公。なんでこれがご奉公? 公僕、最後のご奉公? ここまで来ると、もうめちゃくちゃではないか? それなのに、庶民が一揆を起こしたり、騒がないのも、究極には「 表象の働き 」の奥深さがあるのではなかろうか? もっと考えてみたいけど、きょうは、それ以上考える暇なし。貧乏暇なし。なぜか、突然、なるほど、

「 タモちゃんのお代理様 」

は、やっぱり言えている、と思う。言えてるどころか、きっと、そうに違いない。

「 でまかせ 」ではなく、「 言えている 」とか「 きっとそうだ 」にしてもいいでしょうか、偶然と必然のオーソリティー(= 権威 )だったマラルメさん? ここで権威にすがる自分が、情けない。それはともかく、ヒトよりも、もっともっと偉い存在がいて、ヒトはその代理を務めたいという、願望、欲求、祈り、野望、をもっているのではないでしょうか、マラルメさん? Aにはなれないから、Aの代わりを演じます。Aみたいな顔をしてみます。Aの仮面をかぶり、表情をまね、ときにはお化粧もし、かつらも付けたりもしてみます。

 どうです、似合うでしょう? 様になるでしょう? だって、これだけ化ければ、○○様なんて、呼ばれるんですもの。偉く見えるんですもの。いいじゃないの。

 という具合に、偉く見えるから、崇め奉られる。ちやほやされる。甘やかされる。

 「 どうか、雨が降って豊作になりますように 」、「 作物が駄目にならないように、大雨が止みますように 」、「 ニワトリとブタが増えますように 」、「 隣村の馬鹿どもが攻めてきませんように 」、「 今度の戦(※ いくさ )に勝てますように 」、「 あいつとの賭けに勝てますように 」、「 おとうさんの怪我が早く治りますように 」、「 娘がいいところにお嫁にいけますように 」、「 亡くなったあとに天国に行けますように 」、「 元気が出ますように 」

 「 お任せあれ。任せとき。だいじょうぶ。ところで、あれは、ちゃんと用意しているかな? このあいだは、ちょっと少なかったぞよ 」

 万が一、でまかせが当たらなかったり、何かとんでもないことが起きて、都合の悪くなったときには、仮面を外し、お化粧を落とし、表情をしおらしくして、かつらもとって、わたしは代理ですと言って責任を転嫁すればいい。または、「 あんたの信心がたりんからじゃ 」と、これまた、責任を転嫁すればいい。「 代理人 = 代行者 」は、気楽で、いい商売だわい。

 これは便利。超便利。魔法みたいに便利。呪術みたいに便利。イッツ・ア・マジック。マジでマジック。マジで絶句。ヒューマニズムよりも、シャーマニズムコミュニズムよりも、キャピタリズム。デモクラシーよりも、ビュロクラシー。

     *

 ★から、以上までが、引用部分です。

 宗教と、占い=預言=予言と、半端じゃなく強い「何か」の威=衣を借りて、他の人たちの上に立つという「政(※まつりごと)=支配体制=政治」の成立というシリアスな問題を、紙芝居的に描いたおとぎ話です。きょうのテーマの1つである、「占い」のメカニズムもご理解いただけたのではないでしょうか。

 ★★から、以上までが、引用部分です。はい、コピペのコピペでございます。ややこしいので、図で示します。

 ★★――――

 ★―――――

 ――――――

 ★―――――

 ★★――――

という具合に、引用が、サンドイッチ、あるいは入れ子構造になっているということです。

 それはさておき、サンドイッチのようにダブル引用した部分に書いてあることですが、言えてません? 

     *

 さて、マジで大切なことを指摘します。「予=余=わたくし」と言いながら、「わたくし」ではない。あくまでも

*代理

なのです。でも、

*とてつもないどえらい何か

の代わりを務めている=演じてるから、

*「間接的に」とてつもなくどえらい=(そこそこ)どえらい

というものに

*化ける

ことができちゃう。これって、

*「おばけ」

ですよ。

*このからくり=仕組み=メカニズムに、だまされるって「おばか」さん

ですよ。

 以上は、「占い・占う」についてのあくまでも個人的な感想=愚見です。お気を悪くされた、業者の方々=プロの方々=(信+者=儲)けたい方々=預言or預言者・予言or予言者を信じていらっしゃる方々=お金を喜んでお預けになっている方々=何となくお金をお預けになっている方々=怖いからお金をお預けになっている方々=強制されてお金をお預けになっている方々……に深くお詫び申し上げます。

 当ブログは、営業妨害をする意思は、まったくございません。他人様の信仰にとやかく申すつもりも、ぜんぜんありません。日本国憲法の熱烈な支持者でございます。お間違えのないようにお願い申し上げます。

 現に、自分は茶柱の熱狂的な信者でございます。足元で寝そべっているネコ(※うちの猫の名前です)は、鰯(※いわし)の頭の熱烈な信者のようです。みなさん、他人様のテリトリーには干渉するのはやめましょう。でも、だましたり、強制するのは、いけないことだと存じます。そこんとこは、お互いに理解し合っていますよね。たぶん。

     *

 ところで、ここで、ふと、思い出したことがありますので、お話しさせてください。霊感占いという分野がありますね。現在も、たくさんのその道の方々がご商売=ご活躍なさっているもようです。あまり最近のことですと、差し障りがある恐れもありますので、古い話をします。

 かつて、政財界にも大きな影響力を持った、ある女性の霊感占い師がいました。その政財界の人物(※複数です)の氏名を挙げれば、「うっそー」なんて声をお上げになる、おじさん、おばさん、並びに年配の方々がいらっしゃる(※あるいは、いらっしゃった)はずです。その女性霊感占い師が、最終的には、非業の死とでも呼ぶほかしかない形で、生涯を閉じられたのは、残念なことです。合掌。

 さて、この女性がテレビで占いをなさっている場面をたまたま目にした時のことを、覚えております。その時のご発言が、あまりにも、あっけないというか、馬鹿馬鹿しいというか、きわめてシンプルだったために、強い印象として残っているのかもしれません。

 米国で第37代大統領を務めたリチャード・ニクソンについて、占ったのです。ご存知の方も多いと思いますが、ニクソンウォーターゲート事件というとてつもないスキャンダルを起し、任期中に辞任しました。そのニクソンの任期のどのあたりでの占いかは、残念ながら覚えておりません。ウォーターゲート事件は解決するまでに長い期間があったので、占いが行われたのが、ニクソンの旗色が悪くなりかけた頃なのか、その前なのかは分かりません。その前だったら、「当たった」というしかないです。

 で、霊感占いをテレビ局から依頼されたその女性が、どんな発言=預言?=予言?をしたのかと申しますと、「『ニクソン』さんの名前が悪いですね。『ソン』が良くないです。この方は、きっと『損』をします」。一字一句まで正確には覚えていませんが、確かにこのような意味のことをおっしゃったのです。

 その女性には失礼ですけど、馬鹿馬鹿しい言葉に思えたので、こんな年齢になっても、核心部分だけは、はっきりと覚えているのです。この女性が無残なお亡くなり方をしたというニュースを知った時にも、思い出しました。

「『ニクソン』の『ニク』も、『憎い』に通じるから、良くありませんね」などという言葉と、その女性が話しているさまが、ふと、あたまに浮かびましたが、これは創作=記憶違い=嘘=でたらめ=錯覚=ギャグのやりすぎでの脳の誤作動でしょう。

 でも、『損』のほうの記憶は、ぜったいに間違いないと確信しています。同じ番組をご覧になった方が、いらっしゃいましたら、ご一報ください。間違いありませんよね? 

 で、今になって結果的に思うのですが、あの調子でやって、あれが霊感占いだというなら、きっと、クリントン氏は「クリン」と「不倫」が似ていて、「トン」が「頓馬」の「頓」に通じるから、ああいう結末になった。

 ブッシュ父子は、「ブッ、シュシュー」と砲弾が飛び交う音に似ているから、父は湾岸戦争、息子はアフガニスタン侵攻、イラク戦争という具合に、戦争と縁が深かった。

 カーター氏は、キャンプデービッド合意という形でエジプトとイスラエルの関係に「片」をつけた。

 レーガン氏は「霊」が「願」に応えてくれた。

 フォード氏は、まともに大統領選を勝ち抜かずに大統領になったという「ほどほど」の大統領で終わった。【※これ以降の歴代米国大統領について、あれこれ言う気力はありません。特に今の怒鳴奴・妬爛腐or怒鳴奴と乱舞(ラップと読みます by 広辞苑)で世界がきりきり舞いorどうなる動乱と乱舞の米国、については……。てか、次は梅田譲くんかな?】

 こんなふうに、言えるのではないか? あるいは、あの女性がご存命であれば、霊感で、こんなふうに発言=予言?=預言?したかもしれない。などと、想像=妄想してしまうのです。でも、これじゃ、まるで、自分がダジャレを飛ばすことで抑うつ対策にやった、以前のブログである「でまかせしゅぎじっこうちゅう」の乗りじゃありませんかー! 

 いずれにせよ、あえて名指しはいたしませんでしたが、あの非業の最期を遂げた、女性霊感占い師の方のご冥福をお祈りいたします。再度、合掌。

     *

 さて、話を「予言・預言」にもどします。個人的には、「予言・預言」に共通する、

*「言=言う=言うこと=言葉を発すること=言葉で伝えること」

にも、とても興味があります。預言書となると、書き言葉=文字≒活字になるわけですが、

*「とてつもないどえらい何か」のメッセージが、言葉という形で、代理人から、ふつうのヒトたちに伝えられる。

という、現象=過程=プロセス=仕組み=メカニズム=仕掛けが採用されていることは興味深いです。

 ここで、言葉を広義の言葉と狭義の言葉に分けてみましょう。

*広義の言葉=言語とは、話し言葉、書き言葉、表情や仕草や身ぶり手ぶりを含む身体言語=ボディランゲージ、手話、ホームサイン(=家庭だけで通じる断片的な手話)、指点字点字、音声(=発声)、音楽、合図、映像、図像、さまざまな標識や記号や信号など

だと、このブログでは考えています。

 その広義の言葉に含まれる、

*狭義の言葉=話し言葉と書き言葉

だけが、予言や預言において、なぜ優先されるのか? 

 実は、この質問自体に問題点=欠点=「よく考えていない点」があるのです。

*啓示(≒黙示)

という言葉があります。

*「とてつもないどえらい何か」がヒトにメッセージを伝える

ことです。これは、狭義の言葉であるとは限りません。

 たとえば、冒頭近くで述べた「亀の甲や鹿の肩甲骨を焼いたさいに生じる裂け目・割れ目の形」であったり、暴風雨であったり、誰かの死or死に方であったり、誰かの出産or誕生した赤ちゃんであったり、疫病の発生や流行であったり、この惑星を覆う大気の温度が徐々に上がる現象であったり、マネーという名の表象がとちくるいだしたり、ミツバチが世界同時多発的に激減したり、この惑星のヒトの数がリミットを遥かに超えて増加し続けたり、仲間同士の争いが原因でおびただしい数のヒトたちの命が失われたりする……という形をとる場合が数多くみられます。

 これら森羅万象は、「表象」や「トリトメのない記号=まぼろし」や「ニュートラルな信号」という様相=機能=働きを、はらんだ=仕組まれた、

*「しるし」や「きざし」や「あらわれ」

としてヒトの目に映ります。

 ただし、幸か不幸か因果か必然か偶然か何だか分かりませんが、「尻尾のないさえないおサルさん」の脳内で、おそらく、

*「ズレ=狂い」

が生じた結果、「尻尾のないさえないおサルさん」がヒト=人間様になり、

*言葉を持ってしまった

ために、上で述べたような多岐にわたる「啓示(≒黙示)」、つまり、おそらく「とてつもないどえらい何か」がヒトに伝えるために送ったと想像=妄想されるメッセージは、

*言葉という形で、ヒトに示される

ことになったらしいのです。たぶん。

     *

 で、話はこの記事の冒頭にもどります。

*ヒトには、何かに何かを見る、という習性がそなわっている。

らしいのです。おそらく、ですけど。

 さて、「占い・占う」については、今のところ、以上のように感じております。できれば、次回は、「かく・かける」シリーズの補遺=おまけ=付録=追加の第2弾として、ふたたび「賭け・賭ける」をテーマに書いてみたいです。

賭け・賭ける(連載「かく・かける」の補遺・第2弾)

 たとえば、東京の渋谷駅前の雑踏で、すれ違った見知らぬ人同士。この2人が、その後、ふたたびすれ違う確率は△%だ。そんなふうな話というかフレーズが、昔、流行ったことがありました。若かった自分は、ロマンチックな想像をふくらませて、うっとりしたものです。

 うろ覚えですが、サハラ砂漠でAという人とBという人が出会う確率、なんて話もあったような気がします。「佐原君じゃないか」。「おひさ、原君」。これじゃあ、ロマンチックというより、マンガチックです。

 今、固定電話の電話機や子機がそばにある方、またはガラケーをお持ちの方、ダイヤルボタンの縦列369をご覧ください。機種によって違いはあるかもしれませんが、たいてい、「さはら」が併記されていませんか? これこそ、「サハラ砂漠での出会い」みたいで、個人的には、こっちの偶然のほうに、ロマン(※これって、もう、死語ですか?)、を感じます。

 ちなみに147は「あたま」ですけど、ダジャレにもならなくて、ぜんぜん「あたま」いい感じはしません。「あ」っ「たま」たま、そうなっただけ~、そんだけ~、くらいですか。

 どうしようもないのが、真ん中の2580。あらっ、ひら「かなやわ」(※ひらがなだわ)くらいじゃ、使いもんになりまへんわ。

     *

 確率とか可能性というものには、何か夢に近い、気の遠くなるようなイメージを感じます。数学の確率・統計には、半端じゃなく弱い自分ですので、この感覚は、実際にものを知らない者の戯言=無知な発言=あほの言うことだと、片付けられても、返す言葉はありません。

「かく・かける(1)」~「かく・かける(8)」シリーズの補遺=おまけ=付録=追加の第2弾として、きょうは、「賭け・賭ける」について書こうとしていますが、「かく・かける(2)」で述べたように、いわゆるギャンブルには縁遠いです。自分が縁遠いものやことについて、あまり意識していない。そのために、恥をかいた経験をお持ちではないでしょうか? 

 よく冗談だと思われるのですが、自分は「ばばぬき」というトランプゲームを知りません。正確に言うと、今、「ばばぬき」を説明しろと言われてもできないという意味です。昔、2、3度やった経験はあります。その後、ほかの人たちがやっている様子を見たこともあります。でも、ルールがあたまに入らないのです。

 誓って申しますが、本当です。単純なルールだということだけは、何となく覚えていますが、どうやってやる遊びだったか、思い出せません。興味がない。覚える気がない。おそらく、そうしたメンタルブロックが働いているにちがいない、としか言えません。

 ですから、ほかのトランプゲームも知りませんし、できませんし、やる気もありません。こんなんだから、友達ができないのでしょうね。ついでに申しますと、あと、縁遠いものに、旅行と音楽があります。

 これも、ある人にこっそり白状したところ、冗談だと即断されましたが、高校2年生だった年の秋に、米国でほんの短期間のホームステイをしたのを最後に、泊りがけの旅行や観光旅行をした経験がありません。そういえば、その年の春に修学旅行もありました。それ以来、マジでなしです。これって、ギネスブックに掲載してもらえますでしょうか? 

 とにもかくにも、違った枕で眠ることが大嫌いなのです。そうなら、自分の枕を持参して旅行をすればいいのにと言われそうですが、少々閉所恐怖症気味なところがあって、自動車・バスをはじめ、列車、飛行機といった移動手段が苦手なのです。30分間でも長いです。15分くらいなら我慢できます。それ以上は、できれば、いや、何としてでも避けたいです。

     *

 もう1つの縁遠いものである音楽は、別に嫌いというわけではありません。ただ、大学生になったころから聴力が低下しはじめた以降は、楽しめなくなりました。複数のお医者さんの診断を受けましたが、ある周波数の部分を聞き取る能力が極端に落ちているらしいのです。現在は、補聴器で、そうした不自由さを補っているわけですが、器械を通して聞いているわけですから、快く聞こえてこない感じがあります。

 で、ある時、大恥をかいたのです。「レコード店」って、今でも言いますよね。レコードではなく、CDとかDVDとか、少し前ならレーザーディスクも売っていた時期でも、「レコード店」と言われていました。かなり前のことですが、ある時、ふと、何げなくレコード店に入ったのです。

 その頃は、円盤型のいわゆるレコードも売られていました。でも、その売り場面積が極端に狭いのです。そのかわり、「新譜○○」とかいう文字が印刷された細長い紙切れがプラスチックで包装されて、ずらりと売られているのです。あまり興味もないので、「新譜」だけが目に入り、きっと楽譜が売られているのだと思いました。楽譜がたくさん売られていることも、不思議だとは感じませんでした。何気なく、お店に入っただけでしたので、すぐに出ました。

 で、その少し後にCDというものが売られていること、レコードがもはや売られていないに等しいこと、そして、その「新譜○○」の包装を解けば、そのCDなるものが入っている事実を知ったのです。「あっ、そうだったのか」という感じでした。だから、あの時に入った店で、レコードが隅に追いやられていたのです。まさに、氷解というやつです。そのことを、ある知り合いに話すと、「うそー」という反応が言下に返ってきました。

 でも、本当なのです。もともと、語学は好きだったので、ラジカセと、ソノシート(※ビニール製のレコード)を聞くためのレコードプレーヤーは持っていましたが、レコード自体を買う趣味はなく、ステレオやコンポを持ったことはありませんでした。だから、レコード店に入るという機会も、数えるほどしかなかったのです。

     *

 一瞬、何の話をしていたのか、分からなくなりました。

「賭け・賭ける」ですね。さきほど、言い訳をしましたが、お金をかけてのギャンブルをするために必要な縁も円もないので、「かく・かける(2)」で書いたように、きょうも、

*「人生は賭けだ」「人生はゲームだ」

という具合に話を進めます。やっぱり、上の2つのフレーズは、自分にとって、偽らぬ実感です。宝くじやパチンコや競馬などの、個々の賭けの仕組みや、それぞれの分野での「当たる」確率については、まったく分からないのですが、

*「確率」という名で呼ばれている、得体の知れない「何か」

には、興味があります。でも、かつて学校の教科書にあった数学の確率・統計を思い出すと、気持ちが縮んでしまいます。

*言葉でしか知らないもの

ですので、せいぜい、「確率」という言葉の使われ方をあたまに浮かべ、そのイメージをつかむくらいしか、「確率」と取り組む方法が思いつきません。たとえば、

*この子が○歳まで生きる確率は、どれくらいかしら?

*□□癌にかかっていると診断されたが、あと5年間生き延びる確率はどれくらいだろう?

*宝くじよりも、競馬で儲かる確率の方が高いって、本当?

*△△で▲▲が出る確率は▽%である。

*この会社の株が、本日の午後3時までに○円を超える確率を計算することはできますか?

*円が、5分以内に1ドル□円△銭の大台を突破する確率を計算に入れて、いくら買うかさっそく決めよう。

*今、この車に乗って出掛けて、無事故で午後5時までに帰ってくる確率なんて、計算できるの? 

*降水確率って、どうやって出すの?

*サイコロを振って、1が出る確率を求めよ。

 こんなフレーズしか思いつきません。数学的な確率に詳しい人から見れば、無意味=あほの極みな文もあるにちがいありません。そもそも、

*確率と可能性のちがい

も分からないのです。こういう問題には、尻込みしてしまい、手も足も、口も出ません。絶句、です。

     *

 気分転換に、言葉のフェティシストのはしくれらしく、英語での「賭け・賭ける」にあたる言葉を英和辞典で調べてみます。いろいろありますが、メジャーなものだけを挙げておきます。

*gamble : game と語源が同じ。「勝負する」が転じたという説もある。「賭ける」「投機する」「一か八かの冒険をする」「あてにする」「期待する」「山を張る」

*game : 「お楽しみ」が語源。「遊び」「戯れ」「遊び道具」「気晴らし」「試合」「競技」「体育」「トランプのスコア」「駆け引き」「相手をだますこと」「たくらむこと」「トリック」「じょうだん」「からかうこと」「ふざけること」「猟の獲物の肉」「攻撃目標」「嘲笑の目標」「白鳥の群れ」「商売・職業」「度胸・勇気」

*bet : 「けしかける・そそのかす」が語源らしい。「賭ける・賭け」「きっと○○だと言い張る」「賭けたもの・賭けたお金」「賭けの対象となるもの」「山勘」「考え・思っていること」「何かを成し遂げるための方法・ノウハウ」

*venture : 「冒険」と語源的につながっているらしい。動詞でも名詞でも使える。「やばい=危険な試み」「投機的ビジネス=要するに、とんでもないほどのリスクを背負って、オオバクチ的なビジネスに、カネを賭ける」「やま」「いわば、清水の舞台からバンジージャンプする」「うへーっつ、そんな大胆な、という感じのことをする、または、そういうことを言う」「無鉄砲、向こう見ず、大胆不敵、ほぼ何も考えてない」

*chance : 「落っこちる」が語源らしい。「偶然」「めぐり合わせ」「とてつもないパワーに全部お任せする」「運・運命」「可能性」「勝ち目」「見込み」「機会・いわゆるチャンス」「好機」「賭け」「危険」「冒険」「不運」「たまたま○○する」「クツか下駄かスリッパを投げて、一か八かでやってみる」(※オバマ氏が、現在、実行中)(※鮮度が悪い話ですが、文章の勢いを生かすために加筆は最小限にとどめています。)

 以上ですが、語源だけで十分のようです。「そそのかされて」「お楽しみ」をして、図に乗って「冒険」をし、「落っこちる」。うーむ。やっぱり、CHANGE は CHANCE ですか。ピンチはチャンスですか。そうなると、結局、

*「人生は賭けだ」「人生はゲームだ」

お茶を濁すしかなさそうです。

 で、思ったのですが、

*生きるためには、ヒトを含めたあらゆる生き物が、意識的か無意識のうちにかに関係なく、選択と排除をしている。基本的に、Aを選べば、Bを捨てなければならない。もちろん、AとB両方を選択することも可能であるし、両方を放棄する事態もあり得る。

みたいです。

 これって、立派な賭けです。話をヒトだけに限定し、後半のややこしいところを省略すると、

*ヒトは、故意に=よく考えて=マジに=真剣に=一生懸命になって、または、何となく=気まぐれに=テキトーに=でたらめに、何かを選び、何かを捨てて、生きて=前に進んでいる。

とも言えそうです。で、個人的にすごく気にかかるのは、

*「故意に=よく考えて=マジに=真剣に=一生懸命に」と「何となく=何も考えずに=気まぐれに=テキトーに=でたらめに」とのあいだに、違いがあるだろうか?

です。

 確率とかがからんでくるとすれば、前者の「よく考えて」を「確率を考慮に入れて」としてもいいです。結果として、違いはあるのでしょうか? 確率・統計に半端じゃなく詳しいらしい人が考え出したという金融工学とか証券化とかいうものの誤作動=エラー=「こんなはずじゃなかった!」が、引き金となって、金融危機や信用危機が起こり、今の大不況を招いているとするなら、「よく考えて」という部分に懐疑的になります。

*プロならプロらしく、しっかりやってちょうだい。

と文句を言いたくなるのは人情ではないでしょうか。

 経済と金融には、めちゃ弱いので、「しっかりやって」なんて文句を言っても意味があるのかさえ、見当もつきません。実際、どうなんですか? この方面にお詳しい方、どう考えていらっしゃいますか? 新聞の経済欄や、日経の電子版、英米のその手のニュースサイトを覗いてみても、何だか、

*プロの人たちみんなが迷っている=途方にくれている

としか思えません。週末なんかに競馬新聞を手に眉をひそめている人たちの様子と、酷似=激似です。

     *

 やっぱり、

カジノ資本主義という比喩

に加担したくなります。それとも、いわゆる「金融危機」はとんでもない「わけあり=陰謀=一部の超あたまのいい人たちの企んだ悪さ」で、あれはあれで「正解」だったとか? 最初から毒饅頭だと知っていて、故意にばらまいたやつらがいる。慌てた振りをしながら、内心は「しめしめ」とか? そして、世界中の超お偉い方たちは、そのことを薄々知っていて、いちおう慌てた振りをしてみせている。自分たちは、それなりにお金がたんまりあるから、「まっ、いっか」って感じ。

 それより、スキャンダル=陰謀がばれるリスク=大混乱のほうが、やっかいだ。もしも、そうなら、「一部の人たち」以外の、超あたまがいいわけでもなく、超お偉いわけでもない、圧倒的多数の人たちは、とんでもない規模で馬鹿を見ているということになります。ああ、こわい。誇大妄想=トンデモな考え=杞憂であることを祈ります。

     *

 ところで、さきほどの問題、

*「故意に=よく考えて=マジに=真剣に=一生懸命に」と「何となく=何も考えずに=気まぐれに=テキトーに=でたらめに」とのあいだに、違いがあるだろうか?

ですが、結論から申しますと、

*「イエス・アンド・ノー」だ

と思います。

 まず、「イエス」から説明します。ヒトが生み出した=人工的なものとして存在している、

*理工学系の分野においては、コンピューターの仕組みの基本原理となっている「0/1」(2進法)に代表される2項対立が機能している。Aを選択すれば、Bは排除される、というきわめてシンプルな運動が原理となっている。したがって、「必然性 vs. 偶然性」「意味 vs. 無意味」「有 vs. 無」「指向性(or 志向性) vs. 無指向性(or 無志向性)」といった対立が有効性を備えている。

らしい。

 具体的に言い換えれば、たとえば、

*機械・器械は、「故意に=よく考えて=マジに=真剣に=一生懸命に」設計し、製作し、操作しなければならない。エラーや不具合や誤作動には、適切に=「故意に=よく考えて=マジに=真剣に=一生懸命に」対処しなければならない。

と言えそうです。

 一方で、その他の森羅万象においては、さきほどの問いに対して「ノー」と答えてもいいのではないかと思っています。さらりと書きましたが、確認のために、強調しますと、ヒトが生み出した機械・器械以外の全部についての話ですよ。宇宙的なレベルの話です。

 ちなみに、このあいだ(※2008年)(※だいぶ昔ですね。古い話で申し訳ありません。)日本人および日本出身の方々4名がノーベル物理学賞と化学賞を受賞されましたが、あの人たちの専門とされている領域も含んでの話です。あの人たちの「高尚な=学術的な=専門的な」お話をお聞きに、あるいはお読みになりましたか? 

*「対称性の破れ」

という、何だか、面白そうなことが書いてあったので、自分としては珍しくマジになって、何度も読み返しました。すごく摩訶不思議=あやしい=シュール=かなり吉田戦車している=尋常ではない=「ひょっとして」テキトー=良く言って禅問答=悪く言うと出来の悪いギャグ「みたい」=「でも」すごいこと「らしい」でした。

 あくまでも個人的な感想=妄想=誤解=浅知恵ですけど。とはいうものの、あの人たちが、研究用にお使いになっている、

*機械・機器・器材は「故意に=よく考えて=マジに=真剣に=一生懸命に」でなければならない。

しかし、あの人たちが研究なさっている、

*現象は、必ずしも「故意に=よく考えて=マジに=真剣に=一生懸命に」である必要はない。「何となく=何も考えずに=気まぐれに=テキトーに=でたらめに」であってもかまわない。

のではないかと、「ほぼ想像=多分に妄想」しています。

 このへんについては、きわめて生意気な=身の程をわきまえない=「あほでばかでおたんこなすな」ことを書いていることは、百も承知です。このブログは、学術や研究や学問ではなく、あくまでも。楽問=ゲイ・サイエンス=「楽しくやろうよ、お勉強ごっこ」ですので、ご勘弁願います。ただし、本気です。正気と言う勇気も自信もさらさらありませんが、本気なのです。

*「あんた、ほんまもんやから、こわいわー」

と言われるのは覚悟のうえでございます。なんで、こんなとほうもないことを書いているのかと申しますと、「かく・かける(1)」~「かく・かける(8)」シリーズを書いてきまして、いちおう、とりあえず、次のような結論というか、感想をいだくに至ったからです。

*森羅万象は、暴力的なまでに圧倒的な偶然性に侵され=犯され、支配=制御されている。必然性は、偶然性の反対ではなく、偶然性の一側面にしかすぎない。

みたいです。

 以上を簡単に直感的にイメージ=体感的に言うと、次のようになります。

*地球も含めて宇宙にある「何でもかんでも」が、半端じゃないすごいパワーの持ち主、「テキトー=気まぐれ大魔王」の、「けん玉遊び」に付き合わされて、もてあそばれている。「何でもかんでも」(当然、ヒトも含まれる)が、「木製の玉」であることは言うまでもない。しっかり糸でつながっているから、逃げようとしてもダメ。宙ぶらりんか、投げ出されて、てんてこ舞いするだけ。どうやら、大魔王は、「けん玉遊びが下手らしい」という有力な説があり。ああ、大変。

らしい。

 あとは、ちょっとややこしいですが、辛抱してお読みくだされば嬉しいです。

*ヒトは、ともすると偶然性と必然性を対立するものとして知覚するが、それは言語に起因する錯覚である。

*ヒトは、自らの知覚できる枠のなかで支配=制御できるものやことや現象に、必然性を見いだすが、それを枠外に当てはめることはできない。

*ヒトは、自らの知覚を基盤にしたうえで、自らが操作可能な機械・器械や仕組み・仕掛けを、設計し、製作し、また、実際に操作し、エラーや誤作動や不具合を修正している。しかし、それは、森羅万象を暴力的なまでに圧倒的な力で、侵し=犯し、支配=制御している、偶然性とはおそらく無縁の微力であり、圧倒的な偶然性のまえ=もとでは、徹底して無力さをさらすしかない。

*言葉を、原点とせざるを得ない条件下に置かれているヒトは、その言葉を利用することにより、自らの知覚できる枠のなかで支配=制御できるものやことや現象(これには、確率・統計も含まれる)を日々体験している。それは、自由さとも錯覚される、限定された力を持っているからであるが、もしも、ヒトが身の程をわきまえず、偶然性の反対は何かという問題を、言葉で処理しようとする願望をいだいたならば、偶然性の反対は「自由」という名の「不自由さ」であると言えよう。

 以上のように、妄想しております。

 というわけで、

*「故意に=よく考えて=マジに=真剣に=一生懸命に」と「何となく=何も考えずに=気まぐれに=テキトーに=でたらめに」とのあいだには、日常的レベルでは、差はなく、おそらく、学問的レベルにおいても、差はなく、個人の「自由=不自由」にまかされるべき問題である。

と思っております。ですので、

*「人生は賭けだ」「人生はゲームだ」

を広く=狭く理解するなら、

*圧倒的なテキトーさを覚悟して、生きる=人生を送るしかない。

ということになり、精神衛生上、今、述べたような戯言は忘れて、「故意に=よく考えて=マジに=真剣に=一生懸命に」なり、「何となく=何も考えずに=気まぐれに=テキトーに=でたらめに」なり、自分の「お好み」で「無理をすることなく」時を過ごすのが、

*かしこい生き方(※「ビジネス書」という名で売られている「処世術」本で、似たり寄ったりに=手を変え品を変え=ほぼ同じ=新しければ売れる式に書かれていること)

だと思います。

     *

 蛇足を覚悟で申しますと、

*自分自身の「快・不快」に忠実に生きましょう=行きましょう。

つまり、

*気持ちよければ、それでいいじゃない。

となります。

 次回は、できれば、「かく・かける(1)~(8)」シリーズの補遺=おまけ=付録=追加の第3弾(最終回)として、「書く・書ける」について書くつもりです。何とか、書けるといいのですが――。

 今回の記事の冒頭で、固定電話機やガラケーのダイヤルボタンの配列を利用しての、「賭け・賭ける=確率」と「書く・書ける=エクリチュール」についての、「私家版マラルメだじゃれごっこ」をしましたが、基本的には、あのようなくだらない話になりそうです。いえ、もっと真面目にやります。

 では、お待ちしております。